Oさんの葬儀

未分類

Oさんが亡くなった。
よく電話のかかってくる人だった。話し始めると話が終わらない人だった。電話がかかってくると1時間半も延々と話していたこともある。
補聴器を耳に当てていたので、声が大きかった。
理屈が好きで、議論が好きだった人。しかし、まったく利害で動くようなところのない人だった。
長い電話に困ることもあったが、まったく憎めない人だった。
広域のゴミ問題で、かつらぎ町の代表委員をつとめたときは、ストーカー炉への方向を実現するために、大きな力を発揮された。
学校の適正配置の検討委員会の委員になったときには、すでに病気になっており、入退院をくり返しながら、委員会に出席されていた。
Oさんの髪は、その頃から真っ白になっていた。
今朝、少し雨が降った。そして9時をまわったぐらいから寒くなってきた。
葬儀の時刻には、空は晴れていたが、空気は少し冷たかった。
昨日のお通夜には、会議を主催していたのでお参りできなかった。
今日は、どうしても葬儀に参列したかった。
議員になってからは、数え切れないほど亡くなった方の人生の最後の儀式に、参加させていただいてきた。
残された人々にとって、葬儀は限りなく重い。死者に対する儀式は、葬儀を出発にして、季節がめぐる度に幾重にも繰り返されていく。残されたまわりの人々にとって、宗教的な儀式は、亡くなった人と残された人とをつなぐ大切な時間となる。
親族でないものにとっては、多くの場合、葬儀が文字どおり永久の別れとなる。心を通わせ対話を交わした人との別れには、いつも真摯に向き合いたい。
そういう思いが、ぼくを葬儀に向かわせるのかも知れない。
棺に花を入れ、手を合わせながら顔を見させていただいた。
議論好きの大きな目は閉じられていて、生前、ぼくが知っているOさんの顔となかなか重ならなかった。
若い頃の写真もホールの隅に飾られていたが、どの人がOさんなのか、ぼくには見分けがつかなかった。
息子さんが、自分でマイクの前に立ち、あいさつをおこなった。最後に孫たち全員にも会うことができたと話した姿が印象的だった。
自由に生きた人だった。
しかし、かつらぎ町の未来をまじめに真剣に考えてくれた人だった。
棺の入った車が出棺する直前、セレモニーホールの女性スタッフが小さな茶碗を地面に打ち付けて割った。
これが、出棺の時の最後の儀式だった。
合掌から車がクラクションを鳴らして走り去るまで、ぼくは目を閉じていた。
目を開けると北の山の空は、淡く薄く青かった。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

未分類

Posted by 東芝 弘明