続・押しつけ憲法

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午前中は、憲法9条の署名で地域を訪問。ミカンをいただく。
お昼は、「まあきてよ笠田の市」で昼食。
「東芝さん買ってね」
この言葉に弱く、財布が軽くなった。
遅刻して和歌山市内であった会議に参加。
夜は、集金。最後の訪問先では、神仏習合の話で盛り上がった。
さて、昨日の続きを一言。
憲法制定当時、政府のもとに設置された憲法調査会が、ポツダム宣言を理解して憲法草案を作っていれば、GHQは、「マッカーサー草案」を作ることはなかったという事実も大事だと思う。
当時の政府や政府のまわりに集まった学者の方々は、国体護持(天皇制の存続と権力の維持)に必死であり、(甲)案でいえば、主権は天皇にあるとしていた。主権は天皇にあるので国民は天皇の臣民となり、基本的人権を国民の永久の権利として宣言するという態度には遠く、「公益ノ為必要ナル制限ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」とか、「公安ヲ保持スル為必要ナル制限ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」というような規定にしばられていた。
これでは、明治憲法と大差ない。
こういうものしか作れない憲法調査会に対し、GHQは、日本の民間人が作成した「憲法草案要綱」を参考にして憲法草案を作るに至ったということだ。
押しつけ憲法批判をおこなうのであれば、自由や民主主義、基本的人権を理解し得なかった当時の政府の態度を同時に認識して、ここへも批判的検討のメスを入れるべきだろう。
明治憲法は正しかったという当時の政府の態度がどうであったのかを理解した上で、日本国憲法を述べないと、事実に接近できない。
押しつけ憲法論は、きわめて形式的な議論だ。議論の内容を問わないで、押しつけられた憲法というのでは、憲法制定当時の時代を理解できないに等しい。


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Posted by 東芝 弘明