幼保一元化の質問完成

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幼保一元化の一般質問は、書く前から質問作成の「困難山」は、今回そんなに高くないと感じていた。テーマは大きいが、この問題を考え、費やしてきた時間が長かったので、かなり準備ができていたからだ。
今回は、和歌山県庁にも行ってきたし、橋本の事例についてもいろいろ考え検討してきた。
質問の作成時間がどれだけかかるのか、感覚的に分かるようになってきた。書き出すときには、質問の構想が意識下で出来上がっている。書き出すときに質問の構成については、ほとんど考えていないようなのに、質問の構成は意識下で出来上がっている。
今回は、民間委託の問題も視野に入れ通告の際は、この問題を語っていたが、質問作成の段階になると民間委託は本格的には取り上げないという意識が出来上がっていた。
ぼくにとって、質問準備の時間は、質問テーマにいかに精通していくかという準備期間になる。できる限り深く詳しくテーマを把握すれば、自動的に意識下で質問の構想は組み立っている。
人間の脳は、意識下で多くの情報を処理して整理していると感じている。
会話を考えていただきたい。
次から次に人はなぜ言葉を交わせるのか。相手の話を聞きながら、瞬時に話を組み立て会話を交わしている。
問いかけられた問題に対しても、ときには、30分も長々と話を展開して説明することができいる。みんな、神業的なことを平気でおこなっている。
脳は、意識下で瞬時に判断しており、しかも言葉を発しながら、話の展開を組み立てていくのだ。
池谷裕二さんの本によれば、人間は眠っている間に前の日の経験を反芻しているのだという。脳は疲れない、脳は休まない、脳はたえずフル回転している、脳は使えば使うほど、海馬の神経細胞が増殖する。
物事に対して、たえず多面的に考える努力をおこなっていけば、意識下でおのずから情報は整理されていく。
多面的に考えるという行為を支えるのは、言語であり、書くという行為は、物事を考えるという行為に直結している。
毎日、文章を書く=毎日深く考えるということに等しい。
今日書いているような、論理的な考察は、日常の思考に大いに役に立つ。
自分が体験したことを随筆風に、もしくは小説風に書くという行為は、人生を2度生きるという行為に近い(たしか、宮本百合子もそう書いた)。こういう行為は、自分の経験を言葉で把握し直し、分析したり評価したりすることになる。
文章を書く=考えるということなので、Blogを書き続けているということだ。
そうそう、2005年1月から2007年の12月までほとんど毎日書いていると、過去に何を書いたのか、完全に忘れている。同じテーマで同じようなことを書いたことも多々あるような気がする。
ときどき、自分の書いたBlogのバックナンバーを読み返してみる。その時の1日がよみがえってくることもあれば、その時に考察したことを再度把握し直し、さらに考えを重ねたいという気持ちにもなる。
書くことは面白い。
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!?/池谷 裕二

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Posted by 東芝 弘明