議員報酬の日当制

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矢祭町の議会が、議員報酬を日当制にする議案を委員会で審議しているニュースをみた。年間330万円の議員報酬が、年間90万円程度になり、これで2500万円程度の削減が実現できるという。
こういう報酬制度になれば、議員活動は、議会に出席する範囲だけに限られる名誉職的なものになるのではなかろうか。
国会のように議員に議案の提出や議案の修正、予算提案、予算の修正などの動きを求めると、十分な調査研究の時間を保障しなければならないという課題が出てくる。一つの要求を実現するためには、現場に行き、文献を購入し、時間をかけて資料を読み、行政からの聞き取りなどをおこなう必要がある。ぼくなどは、必要に応じて県にも足を運んで、聞き取り調査をおこなったりしている。最近では、教育関係の要求を実現するということと幼保一元化について県に調査に行った。いずれも、それぞれ収穫は大きかった。
議員活動は、聞き学問では向上しない。人から話を聞いて分かったような気になるのが一番悪い。活動の出発に置いて、報告を聞いた入り説明を聞いたりするのは重要だ。しかし、そこにとどまっていたのでは、自分の血となり肉とはならない。自分で文献調査や現地調査をおこない、住民の意見をよく聞いて、地道に活動をおこなう必要がある。
議会が始まり、議案が提出されると集中した準備が求められる。議案と予算の調査に割く時間は大きい。議案調査の地道な積み重ねによって、行政の流れを把握し、議員としての生きた提案をおこなえるようになってくる。
この秋は、決算委員会の一員(副委員長)として委員長報告を作成する中心に座らせていただいた。かつらぎ町の決算委員会の委員長報告は、7日間の質疑とそれを踏まえた報告書の作成で相当な時間を費やした。しかし、そのような努力の結果、中味のある委員長報告を作成することができたと思っている。
かつらぎ町が、何を大切にして行政運営をおこなっていくべきなのか。委員長報告を読めば、議会の意思がどこにあるのかよく分かるようになっている。
行政と議会の関係は、チェックアンドバランスだと言われるが、多くの議会は、必要なチェックさえ果たしていない場合が多い。しかし、今日求められる議会というのは、ただ単にチェックするだけではなしに、議会活動を通じておこなわれる提案が、住民の声を積極的に反映し、行政のあり方を変える力をもたなければならない。
住民の願いを実現するためには、ただ単に願いを議会に届け発言するだけでは実現しない。もし、住民の声を届けるだけでいいのであれば、議員に高い専門性は必要なくなる。
現実の自治体の姿を具体的に変え、行政施策を発展させるためには、法律にも明るくなり、行政の事務内容についても詳しく把握し、行政当局の仕事の流れにかみ合う形で、問題提起をおこなう必要がある。要求実現のためには、その要求を実現するのに必要な財源、具体的な実現へのプロセス、制度的にも実現可能だということ等を明らかにする必要があるということだ。
議員の専門性というのは、要求を政策として立案できる能力を磨くということでもある。行政運営にも高度な専門性が必要になっているが、議員は、自分が調査した点については、自分の関わっている行政の水準を超えるような準備をおこない、行政を動かす決意をもって、向き合う必要がある。そのような活動をおこなわなければ、行政は変化しない。
議員報酬を日当制にすると言うのは、議員の活動をどのようなものにするのかという認識と関わっている。チェックアンドバランスだけでいいというのであれば、日当制もあり得るかも知れない。今はこれぐらいの仕事しかしていないので、これだけでいいだろう。現在は報酬をもらいすぎている。これが日当制の中にある考え方だろう。日当制の導入は、議員に多くを期待しないということの裏返しでもある。
住民に奉仕する地方自治体を生み出すために、議会制度は発展してきた。今日議会に求められているのは、この制度が保障している積極的な役割をより一層発揮させるところにある。議会の活性化というのも、自治体を住民に奉仕する機関に変えるために必要性が高まっていると言うことに他ならない。
与党だから議案を無修正で通過させるというのは、間違いだと思う。野党であっても与党であっても、議案を自主的に検討し、必要ならば修正をおこない、必要なら議案を否決する。より良い自治体をつくるために、議会の権限をフルに活用することこそが問われているのだ。
首長は住民に奉仕して政策を組み立て仕事をおこなう。議会は、首長と同じ立場に立って、それをチェックし、改善し、必要ならば積極的に提案し改革をおこなう。
日当制は、そんなこと議会にはできないよという宣言になるのかも知れない。
日本共産党は、議員の報酬の引き上げに反対してきた。それは、報酬に見合う議員活動になっていないと言うことであって、報酬が高すぎるということではない。調査活動に十分な時間を割き、自治体の発展を願って議員活動をおこなう議員が多数を占めるようになれば、議員報酬は、それに見合ったものにすればいい。
現時点では、しかし、議員報酬の引き上げは住民の感覚とずれている。それだけの仕事を議員はしていない。これが住民の声だと思う。
「もっと議員報酬を引き上げてくれたら、いい活動ができる」という議員がいる。
鶏が先か、卵が先か。
答えははっきりしている。
議員はすでに鶏なのだ。一生懸命活動してより良い卵を産まなければならない。より良い卵を産めば、住民の評価も高まり、いい方向に変化する。
鶏は、朝一番にコケコッコーと鳴いて、夜明けを告げ、まわりに希望を伝えなければならない。


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Posted by 東芝 弘明