技術について

雑感

技術や方法論というのは、単なる手段ではなくて、深い思索と結びついて生まれてくるものです。そこには誕生の豊かなプロセスがあります。そうやって確立した技術や方法論は、形を真似ることによって写し取ることができます。しかし、ともすれば誕生の豊かなプロセスが抜け落ちる危険性があります。本当に深く技術や方法論を受け継ぎたいのであれば、そこに潜んでいる深い思索、誕生のプロセスをくみ取る努力が必要です。

技術や方法論を軽視する傾向があります。それは単なる手段だという訳です。しかし、これは皮相な見方だと思います。形だけを学ぶという表面的なものの見方が、単なる手段だという見方につながっているのだと思います。形を表面的に学ぶだけでは、深さや高みは見えてきません。
しかし、繰り返し鍛錬して身につけた技術は、哲学性を帯びてきます。高い技術を身につけることによって、見えてくる世界があります。形から入ってもその深い精神に触れることが次第にできてくるのは、技術や方法論は、もともと深い思索や精神と一体のものだからです。

書写というものがあります。良寛さんの字をなぞって書いていると、次第に良寛さんの呼吸や筆の使い方、動きが見えてくると話をしてくださった方がいました。形を一生懸命学ぶことによって、良寛さんが生き返ってくるような話でした。
礼儀作法を徹底的に習ったら、敷居や襖にぶつからなくなった娘さんの話もありました。
靴をていねいに並べることによって、育つ心というものがあります。
「トイレの神様」の話も同じような話だと感じます。
トイレ掃除をすれば、心が育つという単純なものではなくて、一生懸命にトイレ掃除をすれば心が育つというものです。形だけを学ぶのか、それとも形から入って精神をも学ぶのかの違いです。


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雑感

Posted by 東芝 弘明