「文章のみがき方」から得た読後感

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「文章のみがき方」という新書版を読んだ。
文章修業のことを書いている本だった。
天声人語を書いていた辰濃 和男さんが、心にとどめておきたい文章を最初に示し、それにコメントを加える形で話が進んでいく。
読んでいると文章修業の奥の深さを痛感して、自分の書いている文章が気になり、不安になる本だった。
文章というものは、何度書き直しても満足できないものだ。書きながらいつも不十分さ、時には自己嫌悪さえ感じる。
この点で救いだったのは、三島由紀夫や向田邦子が自分の書いた文章に満足できず、自分を厳しく批判していることだった。あれだけ文章のうまい方々も、自分の書いた文章をよしとはしていなかった。
思い通りに書けないからこそ、何度も挑戦することになる。
うまく書きたいという思い、なかなか書けないもどかしさ、ひたすら挑戦する姿勢、こういうものがあるからこそ文章修業になるのだと思う。
辰濃さんは、現場に行き対象をよく見ることを通じて紋切り型ではない文章を書けると書いている。その事例として文章を紹介しているが、それらの文章は実に鮮やかだ。
書きたい対象をよく見て自分の感じたことを表現する努力をおこなう。しかも一生懸命に文章を書くことによって、読み手に伝わるものがある。そういう文章でなければ、人の心には響かない。辰濃さんはこのことも強調していた。
書くことに慣れためらいがなくなっていたのに、「文章のみがき方」という本は、大きな火口口に立って、どこまで深いかわからないような穴をのぞきこませるような感じを与えた。読み終えると文章がいくらか上手になるというような本ではない。むしろ、今まで以上に文章を書くのが恐ろしくなる。文章というものがわからなくなる。
生涯を通じて文章修業をおこないなさい。おおいに迷いなさいという本は、なかなかない。
読み終えてから迷いはじめる本。しかし、それが楽しい。
朝、雨が降っていた。
ひさしの長いわが家の屋根から滴が樋(とい)に落ちていた。等間隔に落ちているように見えて、連続して落ちたりもする。自然の営みはここ彼処に存在しているが、人はなかなかそれに気づかない。窓ガラス越しに見える雨の滴からは音が抜けている。音がしないのに不思議と雨のリズムが伝わってくる。
雨が上がる頃になると細かい霧のような雨になった。この雨にも音は存在しなかった。
文章のみがき方 (岩波新書 新赤版 1095)/辰濃 和男

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Posted by 東芝 弘明