天野小学校の統廃合について

かつらぎ

天野小学校を廃校にする議案が提出されるかも知れない。
地元同意に基づく統廃合という方針が、変更になって、25年4月から統廃合を行うということになってしまうかも知れない。
学校の統廃合問題というのは、最初から同意を得ることが難しい課題だった。
かつらぎ町は、適正配置の検討委員会を組織して、審議を重ねた結果、(!)全ての学校を残す案、(2)旧かつらぎ町の小学校10校を4校にする案、(3)旧かつらぎ町の小学校10校を2校にする案という3案を併記する答申が出された。全ての学校を残すという案は、住民の願いの多数がここにあったからだ。

教育委員会は、「統廃合は地元の同意に基づいて行う」という方針を貫いてきた。25年が来たら審議を打ち切って統廃合を実施するというような言い方は一切してこなかった。最近の懇談会には、町長と教育長が参加したけれど、その席上でも12月議会に天野小学校を廃止する議案を提出するという話は一切出されなかった。
それなのに、廃止の議案が出される可能性が強まっている。

「平成19年からずっと議論をしてきたので、もういいのではないか」「天野だけ統廃合反対というのは勝手すぎるのではないか」「天野小学校の存続を認めたら、他の地域からも学校を残せという議論が出てくる」などの意見がある。
だからと言って、これらの理由が廃止を強行する理由になるのだろうか。

教育委員会が、統廃合の方針を掲げ続けるのはいい。この姿勢を崩さずに地元との間で統廃合についての議論を継続すればいい。いまの時点で、地元の同意なしに廃校にするというような方針はとるべきではない。
天野地域は、統廃合反対の旗を降ろさなくてもいい。しかし、統廃合を真正面から取り上げて話し合いに入るべきだ。
教育委員会と町は、天野地域が明らかにしている天野小学校の存続を軸とした地域おこしの計画を認めて、この計画にもどづく取り組みが成功するよう支援すべきだ。お互いの違いを確認し、何を話し合いのテーブルに載せるのかを確認し、互いが譲歩して協議に入って欲しい。この方針を採用すれば、天野小学校は25年度も存続することにはなる。しかし、それは教育委員会や町当局が、将来にわたって存続を認めることにはならない。
この話し合いのテーブルは、真面目に協議を重ねるのであれば、新しい成果を生み出すし、お互いに妥協点を見出すことにもなるだろう。

最初から行政と住民との間には権限の大きな違いがある。
日本共産党は、住民と行政が対等平等の立場に立って、住民との協働を進めるべきだという提案を行ってきた。対等平等の力関係にない自治体と地域住民が、対等平等の立場で協議を行うというのは、どういうことだろうか。
それは、自治体が住民のところまで降りていき、目線を同じにして話し合いのテーブルにつくということによって、始めて実現する。
行政には、条例を自由自在に提出する権限がある。住民にも条例の制定と改廃についての権限はあるが、それは、「有権者総数の50分の1以上の署名をもって代表者が地方公共団体の長に請求する」という形をとらなければならない。自治体の長がたった1人でできることなのに、本町の場合で言えば、320人の署名(この集め方がまた大変)を集める必要がある。
住民の直接請求権には大きな限界がある。住民は、行政を動かす執行権を持っていないので、町長が提出しているような議案を自由自在に出せない。執行権がない悲しさが横たわる。

かつらぎ町の歴史の中で、議案を否決した例はほとんどない。ぼくが議員になってからの22年間で、議案が否決されたのはわずか1議案しかなかった。議案を上程すれば、必ず可決されるというのは、議員の方々が町長の立場を尊重し、町長を支えることを自認してきたからだ。天野小学校の廃止でいえば、町長が議会に廃止の条例案を出した時点で、廃止される傾向が格段に高まる。
住民は、ほとんどなすすべがない。議会を多人数で傍聴するか、役場のまわりを包囲して、運動を行うか、もしくは、請願や陳情を行うことぐらいしかできない。

議会が天野地域の代表と懇談を行おうとしている。この取り組みは画期的だと思う。議員は、住民の話を聞いて、よく考えて結論を出すべきだ。

地元同意のないまま統廃合を強行して地域住民との信頼を破壊するべきではない。行政が話し合いのテーブルを設定して、住民に参加を促せば、新しい地平線は見えてくる。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

かつらぎ

Posted by 東芝 弘明