ヒーローはいらない

雑感

時代は自由と民主主義が発展していく方向に動いていると思います。
集団の動きも、その流れの中にあります。
優秀なリーダーが、リーダーシップを発揮し、それについていくことによってみんなが幸せになるという形は、古いものになっていると思われます。こういう形では、幸福は実現しません。そういう意味では、橋下徹市長の組織論は、成功しないと思います。

時代が要請しているのは、一人ひとりの個性が発揮される組織の運営です。この時代に求められるリーダーは、みんなの意見を自由に出し合って、合意を形成し物事を進めていくという人でしょう。必要なのはファシリテーション力だと思います。強いリーダーシップは必要ありません。スポーツの世界でもこういう組織の仕方が、強いチームを作っています。

日本の企業は、成果主義を採用して、人間の集団力を認めず、お互いを競争させることによって組織を発展させようとしましたが、それは結局、人間を疲弊させ能率をさらに落とすという皮肉な結果をもたらしました。
この新自由主義にもとづく成果主義という考え方は、役場の中にも入り込んできて、人事考課制度が実施されていますが、結局は職員のモチベーションを下げてしまいました。以前のシステム以上に職員の不満は増大しています。

時代は、個人の個性を重視する方向に動いています。組織の中で一人ひとりの個性が発揮されるようになるというのは、個人が尊重され、個人の意思が組織に生かされることを意味します。そのために必要な組織の運営形態とは何なのかが鋭く問われています。

組織運営にとって、心臓のように大事なポンプ役を果たすのは、民主主義です。民主主義がいかに保障されているかどうかが、組織の運営に問われています。一人ひとりの意見が、組織の意思決定に生かされるということは、不可能なように見えますが、そのための会議の運営の仕方は、ファシリテーション論という形で蓄積されています。
相対立する、矛盾する意見が出されても、恐れる必要はありません。大事なのは、意見を出し合いながら一緒に考えるということです。誰がその発言をしたと言うことは大事ではありません。そこに固執すると弊害が生まれます。出された発言の中で矛盾しているように見える発言は、物事の違った側面を部分的に反映しているケースが多いので、そのことを一緒に考えて、物事への認識を深める場になれば、やがて意見は統一されていきます。

大切なのは、会議の場所で一緒に考えるという状況をつくるということです。出された意見が契機になって、考えが深まっていくときには、出した意見が否定されてもほとんど気になりません。しかし、出した意見が力ずくで否定されると会議は険悪になります。
会議の主催者は、発言者の意見を抑え込んではなりません。抑え込むのではなくて、会議の参加者にその発言を返すことが重要です。会議でリーダーシップを発揮して、自分の意見を押し通すようなことを繰り返していると、その会議は死んでしまいます。それは組織運営にも当てはまります。

多くの場合、主催者は組織の方針を主催者が考えた方向で決着したいと考えています。自分が考えた方向に全体を従わせるために会議を開くというケースがこれに当たります。でも、そういうやり方を一方的に押しつけると民主的ではないということが、主催者にも分かっているので、みなさんの意見を踏まえて決定しますという態度を示します。しかし、それは単なるポーズでしかないことが多いと思います。自分たちの考え方を集団に押しつけたいのであれば、民主主義を装って会議を開く必要はありません。
民主的に議論をして決定したんだという形をとれば、「みんなで決めたことなんだから実行しろ」ということになるので、いいとおもっているとすれば、それは大きな間違いです。

会議の主催者が、集団の知恵を借りて物事を決定したいと考えるだけで組織は大きく変わります。例えば原案Aを作って会議にかけるとしても、主催者がこのA案を議論によってBやCになってもいいという考え方で提案するだけで、議論は自由になります。または、方向はなかなか見えないので問題提起的な提案をして、意見を出していただき、一緒に問題を深めようという会議になれば、議論を豊かに組織することができます。

今の時代、そういう組織運営に熟達しないと組織は発展しません。時代はそういう変化を組織に求めています。
ヒーローなんていりません。指導力のあるリーダーなんていりません。ヒーローやリーダーによる指導力のある組織というのは、ピラミッド形の組織です。このような組織ではなくて、今の時代は、ネットワーク型の組織を求めています。それは、メインコンピューターによる中央制御型のシステムから、ネットワーク型、クラウド型のコンピューターシステムにコンピューターが移行したのと同じように、一人ひとりが頭脳を持って結びあう組織が、人間の世界にも必要な時代に入っているということです。
時代は確実に進歩しています。時代は、自由と民主主義の拡大を求めています。それは、新しい人間と人間との結びつきの再構築、人間的な連帯の再構築を伴っています。一台のコンピューターにはできないことが、ネットワークを形成することで新しいことができるのと同じように、時代は新しい絆を軸として発展していくと思われます。

その一方で、危険な動きが台頭しています。経済が混迷し、格差と貧困が増大する状況が広がるほどに、解決してほしい願望が強く生まれてきます。しかし、この願望は、怨嗟を伴っているので、妬みや嫉妬と一体となっています。時の権力者は、この国民の中にある怨嗟を利用して、国民が団結できないように国民同士の対立をあおります。最近の最大のターゲットは公務員です。公務員を悪者に仕立て上げることによって、国民の怒りが権力者の側に集中しないように怒りを分散させています。
その一方で、国民は強いリーダーの登場に期待しています。強いリーダーが危機を打開して、展望を示してくれることを渇望しているのです。
しかし、この傾向は、ファシズムの台頭を許す極めて危険な動きだと思われます。
「貧困はファシズムの温床になる」という言葉がありますが、まさに強権的な権力を思考する勢力は、貧困と格差を利用してファシズムを台頭させようとしています。

国民の願いに応えるかのようなポーズを取りながら、権力を集中させ、次第に自由と民主主義を破壊して、反対できないような流れをつくります。この傾向に真正面から立ち向かう必要があります。この傾向を打ち破たたかいは、自由と民主主義を守り発展させるというものになります。ここでも最も大切なのは、自由と民主主義になると思います。


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雑感

Posted by 東芝 弘明