会議のキモ

第6回中央委員会総会の幹部会報告があったので、Macとテレビを繋ぐために橋本に行った。5か月間の党勢拡大の特別期間が提起された。この期間を通じて党組織をどう発展させるのか。このことを前向きに考える必要があると感じた。党の方針の一つに「楽しく元気の出る支部会議」というものがある。これは一筋縄では実現しないと思っている。多くの会議は、うまくいっていないことが多いのに、どうしてうまく会議が機能していないのかについては、理解されていないことが多い。
ぼくは、会議の運営の仕方について、自己流に10年以上研究してきた。研究内容はファシリテーション論だった。ファシリテーションの技術を学ぶ中で、一貫して考えてきたのは、会議に参加した人の「個人の尊厳の尊重」と「民主的な会議の運営」だった。この2点が会議を支える2大視点だと思われる。会議に参加してみんなの中に個人が「提案」する。日本の会議では、この「個人の提案」が無視されることがかなり多い。それは党の会議でも地域の会議でも同じ。個人の発言を無視すると、やがてその人は会議に参加しなくなる。
参加者一人一人を大切にして、その人の発言をみんなで聞く。これが実際の会議で貫かれたら、それだけで会議は生きたものになる。気に食わない意見をいきなり否定したり、批判したりすると、発言した人は人格が傷つけられる。そう、頭ごなしの批判はすべきでない。頭ごなしの批判が行われるような運営もすべきでない。ファシリテーターは、発言に対して頭ごなしの批判が生じないように努力すべきだろう。頭ごなしの批判が生じたときは、議論がそれで終わらないように「介入」すべきだとも思われる。
「介入」は、一体何が問われているのかを明らかにするか、問題になっているテーマを掘り下げるか、もしくはテーマを広げて考えるためにおこなわれる。そのためには、頭ごなしに批判された発言者に、さらに話を展開してもらう必要もある。その次に強烈な議論をした人以外に、そのテーマについて発言してもらうことも重要だ。そうすることによって、強烈な否定を議論に転換できる。あんまり感情的なやり取りになった場合は、クールダウンも必要になるので、会議の長い短いは関係なしに、休憩を入れる必要もあるだろう。
頭ごなしの批判と議論とは違う。発言した人の発言をテーマにして議論すれば、しかも議論の中でその発言が採用されず否定されたとしても、発言した人は傷つかない。むしろ丁寧な議論が行われると、「自分の発言に対してみんなで議論してくれてありがとう」という気持ちにもなる。頭ごなしの否定と議論との違いを考えるのは大事だろう。
会議の運営をどうするか。生きたスキルを身につけられるようにしないと、会議の変革はできない。これが10年間研究してきたぼくの考え方だ。多くの会議は、運営のまずさを理解しないまま運営されている。やっかいなのは、会議のまずさに運営者が気づいていない点にある。一人一人の発言を大切にするということは一体どういうことなのか。ここに会議を進化させる出発があるともいえるだろう。
今日書いたことは、第6回中央委員会総会の報告に対する感想ではない。あらためて「楽しく元気の出る支部会議」のことが一つの強調点になったので、会議のあり方について書いてみたくなったということ。会議は生き物。会議が成功すれば組織運営も変化していく。会議が組織運営をよりよい方向に変える一つのカギを握っている。










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