思考と文章

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Blogについてのニュースを読むと、1日500以上のアクセスがあるBlogは全体の2.3%とあった。ぼくのBlogは、昨日96、今日も96だったが、これは多い方だ。平均すると60程度という感じがする。
書き始めた頃は20数人だったので多くなったとは思うが、爆発的に伸びたとは言い難い。
最近、検索で一番多いのは、レグザ関係だ。
要綱と規則の違いについての検索もかなり多かった。
検索によって訪れた方が、どれくらい記事を読んでくれているかはよく分からない。しかし、どのような検索でたどり着いていただいたのかは、興味がある。
全国各地からBlogにたどり着いて、読まれているというのはうれしい気がする。
(ここでふと思いついた。そうだ文章について書こう。書き始めたときにもっていたイメージとずれてきた)
Blogを書いてきて、一番役立っているなと思うのは、文章力が向上したということだ。赤川次郎さんは、月に原稿用紙1000枚を書くという。これは超人的だ。おいそれと真似できることではない。というか、真似したくても誰も真似できない。
夢枕獏さんは、750枚書いてぶっ倒れたと語っていた。かつて藤原審爾さんは、”プロは月産300枚書かなくちゃね”と書いていた。1日原稿用紙10枚を書くというのは、とてつもない作業だ。
しかし、それぐらい文章を書かないと達人というような域には到達しないだろう。
ぼくはプロではないし、まして小説というものを書いたことがないので、日量原稿用紙10枚という世界については、あんまりイメージできない。
(まてよ。小説は書かないけれど、文章を書く面白みについて書きたくなってきたぞ)
ただ、言えることがある。小説にしても他の文章にしても、書き始めるときに作品の(文章の)細部は決まっている訳ではないということだ。基本的な枠組みは定まっている。あとは書きながら形が整ってくるということだ。
頭に描いていたイメージと書き始めた文章がずれることも多い。文章というものは、自分の中からわき出してくる代物だが、文章が形になるときは、自分の書く文章に形を与えつつそれと対話して、もしくは自分の書く文章を客観視しながら見て、文字に文字を繋いでいくようなところがある。
自分で書いているのに、書きながら思考が発展したりするので、時には新鮮な発見があり驚きがある。文章を形にすることによって、多くのことを発見し、それを文章化することによって自分の考えがまとまっていくというような感じだ。
自分で書いた文章なのに、自分で書いていないような変な錯覚がしばしば起こるといっていいと思う。
では、そういう文章を誰が書いたのか──そう問えば、「ハイ自分です」ということになるが、すべて自分で書いたのかというと、何だか違う感じが残る。
(ここまで書いたがいいたいことがなかなか表現しきれない──ええい、ちくしょう──もう少し念押し的に書いてみる)
人間は自分を客観視できる唯一の動物。こういう指摘をしていた方がいたが、文章を書く行為というのは、自分の考え方を客観視することによって、自分の思考とのキャッチボールが始まり、自分との対話が始まる
と言えるのではなかろうか。
(おっと、いいことを思いついた)
文章書いて、もどかしく感じたことはないだろうか。
自分の思いを真っ直ぐに表現できず、何度か書き直しても表現しきれない。こういう経験はないだろうか。
自分の思いを的確に文章化できないジレンマ。ここに文章表現が、自分の意識から離れたものとして存在している具体的な姿を確認できる。
文章を書くことは、思考を外形化する。いったん文章が書かれると思考は文章の形式に添わざるを得ない。
思考を文章の形式に従わせることによって、自己の思考が自己の意識から離れていく。思考の法則と文章を支配している法則とには、かなりの違いがある。自分の考えをうまく表現できないときの文章は、自分で書いた文章でありながら、自分の思考を100%表した物にはなりえないという点で、「この文章、いったい誰が書いたのだ」とか、「神の力によって文章を書いた」というような感じが発生する。
文章を書き込んでいくと、自分の思考が文章を通じて表現できるようになる。自分の思考が、文章の法則に沿って動き始めるといってもいい。自由自在に文章書くということは、自分の思考方法を文章の法則に従って組み立てることなのかも知れない。
しかも、このような脳の中の作業は、潜在意識下で処理され、意識の表層に浮かんで来るものではないとも言える。
(それでは、ここからが種明かし)
さて、ここまで文章を書いてきたが、ここに書いた文章は、最初からこう言う文章を書こうと思って書いたものではない。まさに、文章に文章を重ねる中で、形が生まれ、思考が進歩したということだ。

「文章を書き込んでいくと、自分の思考が文章を通じて表現できるようになる。自分の思考が、文章の法則に沿って動き始めるといってもいい。自由自在に文章書くということは、自分の思考方法を文章の法則に従って組み立てることなのかも知れない」


とくに引用したこの文章は、今日書きながら新たに頭に浮かんできたものであり、自分にとっては「発見」に属するものだった。考えながら文章を書いていると、こういうことは多い。だから文章を書くことがやめられない。おもしろい。
思考を発展させるためには、文章を書くに限る。


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Posted by 東芝 弘明