人権啓発と人権教育

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自治体が人権について啓発をすすめることに、拭いがたい違和感を感じている。
かつらぎ町は、同和問題の解決をすすめる上で、重要な役割を果たしてきた。
行政と住民が一体になって運動をおこない、成果を上げてきたといっていい。
同和問題の解決のために、自治体がなぜ重要な役割を担うことができたのか。
これをあらためて考えてみたいと思う。
部落問題は、近世封建社会の中で次第に形成され、ときの権力によって十二分に利用され、身分制度を固定化するテコとなってきた。士農工商という身分制度の、さらにその下に位置づけられた身分制度は、当時の住民を抑圧する身分制度として存在していた。
明治維新は、封建制から資本主義への移行をなしとげた改革だったが、明治政府は、絶対主義的な天皇制と財閥、半封建的地主制度という社会勢力からなり、封建時代の身分制度は完全にはなくならなかった。このような中で明治政府になっても、部落差別は温存され、やはり一定の支配のテコの役割を担わされてきた。
半封建的な地主制度のもとで、圧倒的に多かった小作人と被差別部落住民とを分断することによって、住民全体を貧しい状態に押しとどめるという点で、部落差別は利用され温存されてきたということだ。
しかし、戦後おこなわれた農地改革と財閥解体、絶対主義的天皇制の解体をはじめ、日本国憲法制定による恒久平和、基本的人権、国民主権と国家主権、議会制民主主義、地方自治の確立は、部落差別を温存する物質的、政治的な要因を取り除いた。
部落問題の解決への展望は、このような一連の戦後の民主主義的な改革という土台なしには、切りひらかれなかった。しかし、被差別地域は、このような改革がなされたものの依然として劣悪な住環境、劣悪な地域の経済生活等々、社会の中で低位におかれていた。
この問題を根本的に解決しようとして取り組まれたのが、同和対策だった。同和対策事業を考えるとき、部落解放同盟による八鹿高校事件などのように、部落民以外はみんな差別者というような部落排外主義的な運動のことを忘れられない。
このような歪んだ運動によって、部落解放同盟は分裂したが、そのなかで部落解放は、国民との融合をめざすものとして把握され、同和地域の解消を目標にした国民融合論が確立していった。この論理の果たした役割は大きい。
同和対策は、厳しい差別の実態を直視し、地域の住環境改善を中心とした事業とともに、就職支援、学習支援などの経済的な支援などをおこない、同時に学習運動を組織して部落差別が、いわれのない差別であること、部落問題の解決は、国民の基本的人権を守る活動であることが明らかにされるという事業を展開していった。物質的なハード面に残っている部落差別の要因を取り除き、意識面に残っている部落差別を克服するソフト面の事業の展開によって、国民融合の流れが形成されていった。次世代を担う子どもたちの中で展開された同和教育は、次の世代に差別をもちこさない運動として、また、同和地域の子ども会などの自主的な運動による、学力向上を含む親子の運動は、部落問題解決に大きな力を発揮した。
この運動の中で、地域住民と行政が果たした役割は大きかった。
かつらぎ町の場合は、利権を我がものにするような、集団が形成されず、同和対策事業と住民の運動によって、同和問題の解決への道が大きく開かれていった。
しかし、全国のすべての同和対策が、国民融合論の視点に貫かれておこなわれることにはならなかった。同和対策事業は、部落解放同盟などの組織によって、利権を我がものにするような歪みを生み出し、同和問題の解決に逆行するような事態をさまざまな形で生み出した。
ただし、かつらぎ町の同和対策事業が、すべていいものであったということではない。80年代に入ってからは、行政の中に同和対策事業を財政的に利用するような傾向も生まれ、部落差別の解消という大きな目的から離れるような事業も見られた。このような流れもあったが、部落差別の解消への流れは、大きな流れとなっていった。
同和対策事業を終結する際に、かつらぎ町は、部落差別の解消という点で、同和対策事業が果たした役割や到達点を確認しあうような取り組みをおこなわなかった。到達点と残された課題を住民と行政の間で確認しあうことは、極めて重要だった。25年以上に及んだ同和対策事業の成果が十分に認識され、到達点を確認すれば、対策事業が掲げた目標が達成しつつあること、したがって事業を終結できること、同和地域という行政が線を引いた地域指定も取り払われ、国民的な融合への展望が開けていることも確認できたのにと思う。かつらぎ町が、同和対策事業の終結を宣言しなかったのは、和歌山県がひきつづき同和対策事業を続けるという意向をもったことが影響しているように思う。
四半世紀におよぶ同和対策事業が、同和問題の解決にどのような役割を果たしたのかを確認せず、部落問題を取り上げる必要のないところまで、解消への展望を切りひらいてきたことを確認しなかったことは、行政にとっても住民にとってもおおきな問題を残した。未整理のまま、今日に至っていることが、同和対策事業への評価の違い、現在の到達点への認識の違いを生み出し、今後の事業の展開にも足並みのそろわない事態をつくりだしている。
同和対策終了以後、かつらぎ町を含む和歌山県の行政は、意識面の中にまだ部落差別は残っているとして、ひきつづき人権啓発をおこなうという方向にすすんでいった。
現在、人権啓発と称して、こども、高齢者、女性、障害者とともに部落差別を人権啓発の対象に加え、引き続き同和問題の解決に取り組むというのが、かつらぎ町の方針になっている。
同和問題の啓発は、今日、ほとんどおこなわれていない。それは、かつらぎ町における同和問題は、ほとんど解消されているということに他ならない。部落差別がまだまだ残っているといって、今日の重大な問題だと強調することは、むしろ同和問題を解決する妨げになるだろう。
総括はおこなわれなかったが、同和対策事業と同和問題の学習運動は、確実に地域を変え同和地区内外の地域住民の意識を変えつつある。
最近、佐野住民会館は、真和地域の住民との交流を積極的にすすめることによって、数多くの成果を上げ始めている。今日、同和問題の解決に課題があるとすれば、積極的に住民間の交流を具体的に楽しく促進することではないだろうか。
同和問題は、戦後、政治や経済の支配の武器として(一部の例外はあるが)ほとんど活用されては来なかった。つまり、封建制度の残滓としての部落差別には、それを温存させるような物質的な動きは存在しなかったということである。国にも県にも市町村にも企業にも地域にも、封建制の残滓はあったものの部落差別を再生産するような構造はなかったので、国や県、市町村が住民といっしょになって解決の展望をもって取り組むことができたといっていい。
少なくない地域で歪んでしまった同和対策の問題は、本来ならば解消の担い手になるべき集団が、部落差別の解消をはばむ勢力になり、運動団体として利権を我がものにすることによって生まれたものだろう。
こういう地域では、速やかな同和対策事業の終結こそが求められている。一部組織が利権をあさっているような状況にある地域では、同和対策事業の終結なしに部落問題の解決はないだろう。
国は、こども、女性、高齢者、障害者に対する差別を部落差別と同列に置き、国民への教育・啓発をといている。しかし、このような位置づけは、さまざまな混乱を引き起こさざるを得ない。
同和問題は、今日の日本のなかで、封建的な残滓を取り除き、国民的な融合を実現する課題として、解決の展望が切りひらかれてきたものである。これに対し、こども、女性、高齢者、障害者問題における差別は、封建制の残滓などの問題ではなく、今日、日々発生しているものであり、人権問題だからという一致点だけを見て、同和問題と同列視すべきではない。
子どもをめぐる差別は、企業による経済的支配のなかで、日々拡大再生産されている。女性差別も同じだろう。日本では、男女間の同一労働同一賃金はほとんど実現していない。この2つの問題は、日本経済の今日的な極めて大きなせめぎ合いのただ中にある。
障害者と高齢者問題は、社会保障改革の中で、極めて深刻になりつつある。
差別を拡大している一翼に財界があり、財界の要求に従って、改革を具体化している政府がいる。
新自由主義による構造改革は、「高負担構造の是正」を課題にし、社会保障構造改革を推進してきた。攻撃の対象は、憲法25条であり、社会保障制度だった。同時に構造改革は、大企業の経済活動を「足かせ」を取り除くために労働法制を改革し、非正規雇用を拡大するとともに、経済活動の規制をものすごいスピードで緩和してきた。
男女差別の拡大は、このような政策の帰結として生まれている。女性の2人に1人は非正規雇用という実態は、経済的な差別を拡大してきたということに他ならない。
子どもをめぐる問題では、子どもの中に競争を持ちこみ、極端に競争を強めることによって学力を伸ばそうとしている。差別と選別の教育のために教育の複線化を指向し、習熟度別学級編制や中高一貫校などをつくり、自由選択制と称して校区を撤廃したりしている。小さい頃からよくできることできない子にふるい分け、優秀なエリートと愚直な労働者を確保するという経済政策を推進している。このような政策をとるかぎり、子どもが一人一人大切にされる世の中はつくれないし、子どもの権利条約も生かされない。
子ども、女性、高齢者、障害者の差別は、国民のなかにある差別的な意識を啓発によって改善することによってなくなるようなものではない。それぞれは、物質的な差別の構造をもっている。差別を再生産する構造をつくることが、財界の要求であり、それが国の方針になっている。差別と貧困を拡大再生産している政治勢力と闘わないかぎり、国民の側への格差と貧困の蓄積、差別と選別はなくならない。
日本国憲法9条と25条をまもる国造りへの転換なしに、打開の道は開けない(9条と基本的人権の関係は非常に興味深いので後日書いてみたい)。
国や県、地方自治体が、差別と格差、貧困を広げるような政策を実施しているときに、行政が部落問題の解決めざして発揮したような力を発揮できるだろうか。
そのような、ダブルスタンダードを行政は取ることはできないと考える。
人権啓発や教育を行政が担うと、言及できない問題が増え、限りなくタブーの多い啓発と教育にならざるを得ない。国民が根本的な矛盾を感じている問題に対し、まともに答えられない行政が、タブーがあってはならない啓発と教育を担った場合、それは、どうしても欺瞞に満ちたものになってしまう。
行政は、人権啓発と教育を担う主体になり得ない。あまりににも自己矛盾が多すぎる。自己の矛盾を見すえて批判しきる勇気が行政にはないし、批判しても全面的に改善することは不可能に近い。
日本国が、憲法を文字どおり最高法規として守り、日本国憲法にもとづく国づくりへと大きくかじを切らないと、国民の生存権保障を基礎においた基本的人権の確立もおこなわれないだろう。
人権学習を住民の側で組織し、それを行政がサポートすることはできると思われる。この場合は、タブーのないテーマの設定と議論ができる。行政は、かりに行政の施策を否定されたり批判されたりしても、一切口を出さないで我慢強く学習を見守るという姿勢が求められる。
人権啓発と教育について、行政がそれを担うことについての違和感を書いた。
ぼくの違和感は、同和問題の解決という課題からの教訓でもある。
なぜ、同和問題は解決に向かったのか。
なぜ、男女平等や子どもの権利は、守られる方向に向かないのか。この違いを十分把握してとらえ直さないと、それぞれの運動について課題や展望も見えなくなるだろう。
それぞれの差別には、それぞれ、個別の課題や問題があり、解決へのアプローチも解決のプロセスも自ずから違うだろう。
子ども、女性、高齢者、障害者などのテーマは、極めて今日的なテーマである。本当に基本的人権が保障されるような町づくりが求められている。それは、現在進行している格差と貧困をなくすということと不可分一体の運動でもある。
子どもの問題では、子どもの権利条約をかつらぎ町の町づくりの基本にすべきだと一般質問で提案したことがある。当時の教育長は、ぼくの提案をまったく受け入れなかった。現在の教育改革は、子どもの権利条約から大きくかけ離れ、子どもの権利条約の実現を妨げる側面を増大させている。だからこそ、より一層、子どもの権利条約が学ばれ、生かされて改善を求める運動を起こさなければならない。それは、行政の姿勢を変えることにつながる。
子ども、女性、高齢者、障害者の人権問題をさまざまな角度から論じることは可能だし、日常生活に関わる問題を取り上げて語り合うことも大事だと思う。そこには楽しさもある。しかし、日本社会が抱えている中心的な矛盾から目をそらす教育や啓発では、展望が開けない。この根本的な矛盾に対し、まっすぐ事態を直視した上で、日常生活のなかにあるさまざまな問題を取り上げていくという姿勢が大事なのだと思う。
行政による人権啓発と人権教育は、住民による人権学習と権利を守るさまざまな運動へと転換させるべきだろう。
子どもの分野では、かつらぎ町こそ、子どもの権利条約を守る教育への転換を。自分の子どもをとりまいている環境を考えるとき、この運動を思いっきりしたい、そういう思いが自分の中にある。


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Posted by 東芝 弘明