指導とは待つこと

出来事

総合型地域スポーツクラブの指導者に対する学習会があったので、司会兼挨拶ということで参加した。
講師の南さんは、欧米では、16歳以下の子どもたちの全国大会について「それは禁止されています」と語った。そもそもが、中学校までは、学校にクラブ活動がないということだそうだ。

日本は、なぜか勝利至上主義のような傾向が非常に強く(どうもアジア圏がそういう傾向らしい)、どうしても勝つことをめざすものになっており、それに伴って教え込み型の指導が強いという話だった。
「このような活動を続けているから、トップアスリートが育たないと外国から指摘されている」という。

お話の中心は、待つことができるかどうか。いかにして子どもの自主的な意欲を引き出せるかどうか。子どもが教わりたいと思ったときに教えることが大事だという話だった。
これは、すべてのことに共通することだと思われる。

勉強もスポーツも徹底的に評価する傾向が、次第に強まっている。小さい頃から評価、評価、評価という形がこれでもか、という形で行われ、その結果、子どもの発達にさまざまな歪みとストレスが生じている。この傾向をあらためないと日本の未来は明るくない。

仕事の話を聞いていると、仕事に徹底的に厳しくあることが、さもいいかのように言われる。
もしかしたら、日本は、仕事という側面からいえば、すでに軍国主義が復活しているということなのかも知れない。
仕事のためには、家庭も、人間関係も、そして命さえも犠牲にせよとでもいうかのような、決死の覚悟で働くことが求められているような傾向がある。ブラック企業でおこっている実態を読めば、人間性を破壊するところまで追い詰めて、使い捨てていく姿にであう。
「仕事だから厳しいよ」
そういわれると妙に納得する。そういう現実が日本にある。

「日本は競争社会だから、もっと字が速く書けるように」
こう言った先生の姿が浮かんできた。


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出来事

Posted by 東芝 弘明