「マジシャン」

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「一期一会」
この言葉を思い出すたびに、一枚のリトグラフが目の前に立ち現れてくる。
27歳の時のことだったように思う。ホテルで会議があり始まるまでにまだ時間があった。たまたまそのホテルに版画の展示販売会場が設けられており、惹かれるようにしてそこに足を踏み入れたことがあった。
1枚1枚、ゆっくり版画を見て、行ったり来たりしている中で、1枚強く惹かれる作品があった。足は次第にゆっくりになり、しまいにはその版画の前に立ち止まっていた。
ジャン・ジャンセンの「マジシャン」という作品だった。男の頭の上には仮面があり、それは上を向いていた。目の前には黄色いボールが掲げられている。惹きつけられたのは、ほつれた髪の深い色だった。月明かりの下でボールをかざし、頭の上の仮面は月を見ている、ぼくにはそう見えた。
その絵がリトグラフという石版画だと教えてくれたのは、会場にいた画商の男の人だった。彼は静かに横に立って、会場の雰囲気にとけ込むような声で語りかけてきた。
ぼくが見た「マジシャン」は、Number7ぐらいの作品であり、刷り上がる作品の中でも希少価値のあるものだった。
男の人は、ぼくの目の前で印刷されたジャンセンの作品集を開き、かの「マジシャン」の作品も見せてくれた。
「本物と印刷物は全然違うでしょう。髪の部分などは、印刷ではつぶれてしまいます。絵は本物を見ないとその良さが分かりません」
美術作品を印刷物で見てきたぼくは、あまりの違いに驚いてしまった。
本物を見ないと絵の良さは分からない。この言葉は20年たっても色あせることがない。
「絵というのは、手元に置いて見ると、語りかけるように違う表情を見せてくれます」
「出会いは、一期一会だと思いますよ」
そして、あれ以降、「マジシャン」を見たことがない。
インターネットで検索してみると、「マジシャン」を見ることができる。
しかし。これらの画像は、本物の絵のもつ力をほとんど残していない。
ホテルの会場で見た「マジシャン」には、ぼくが積み重ねてきた寂しさのようなものが、込められていた。自分の内面に育っていた感情が絵と反応していた。
27歳の当時、部屋の中に静かに羽が舞い降りるように寂しさが降り積もっていた。わき水が溢れてくるような思いが自分をとらえていたときに出会った作品が「マジシャン」だった。
家族をもてるようになり、娘も誕生して次第にぼくはひとりの孤独から解放された。
今、本物の「マジシャン」に向きあったら、ぼくの胸にどんな思いが溢れるだろうか。
それは分からない。
もう一度、作品に向きあいたいという思いが、深紅の花の一輪挿しになって胸の中にある。
一期一会。この言葉の重みだけがくり返し響いている。


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Posted by 東芝 弘明