旧那賀町の大和街道を歩く

出来事

旧那賀町の大和街道を初めて歩いた。名手駅の近くから高田までの距離だったのでJRの駅の一駅分の距離だった。国道の北側にこのような道があることさえ知らなかった。道の両側には、家が並んでいる。この道は、かなり古い時代から奈良へと続いている道だ。

大和街道より古い道が南海道だという。高田までが畿内だった時代がある。大阪へのルートが確立して大阪が貿易の中心になり、都が次第に京都の方に移り変わっていく中で、貿易のルートが変わることによって、南海道は姿を消していったのかも知れない。飛鳥時代の頃は、紀ノ川に沿うかたちで和歌山に下っていく道が、大和王権の最大の貿易の道だったようだ。和歌山の港から北上して瀬戸内海を渡り九州を横断して、朝鮮や中国に行くというルートがあったということだろう。

国道から少し離れたところにある大和街道は、静かなたたずまいのする道だった。途中でJRの線路が道と交差し、JRは大きく弧を描いて高田に入っていく。何度乗ったか分からない名手と高田の間の線路が走っているのを道沿いに見ると不思議な感じがする。電車の中から見る風景と、道から見る電車のある風景とは大きく違う。

大和街道を歩いたのは、日本共産党のビラをまくためだった。名手駅から高田の手前まで歩き、また名手駅の近くまで戻り、そのあと、北に車を移動して、100件程度ある団地のビラもまいた。2時間と少し歩くこととなった。


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Posted by 東芝 弘明