青年同盟

雑感

22134

25歳以降、民主青年新聞という新聞にせっせと現代詩を投稿していた時期がある。ノートには掲載された詩が保存されている。その頃から30年近くが経ち、当時は、二昔以上前のこととなった。20歳のとき、日本民主青年同盟の専従者になったぼくは、同年代の学生や働いている人々にかかわっていた。同世代の多くの若い人の人生に触れていた時代は、みずみずしかったのだろう。書いている文章には、その当時の呼吸が刻まれている。
茶色く色あせた新聞の切り抜きは、ノートに挿まれているが、貼り付けていた糊が剥がれているものもある。それらを少しずつテキストに起こして残しておきたいと思いはじめている。この作業は、30年近くを経て現代詩を書く力になるかも知れない。
当時の自分のペンネームは「高峰はるか」、選・評は門倉さとしさんだった。

掲載された作品のひとつ、「青年同盟」

青年同盟

        和歌山 高峰はるか

ぼくのまわりにいた
仲間たち
有田の山奥から出てきた印刷会社で働くあいつ
九州から和歌山大学に来た女の子
大阪のコンクリートの谷間がふるさとだと言う先輩
紀南から出て来て何年にもなるバンカラ公務員などなど
ぼくも田舎から大学へ通うためにここに来た者のひとりだった。

それが
この和歌山市内で
出会い
男も女も生活をみつめ
ともに笑い
政治を語り
そして
たたかいに参加した

何度もくりかえされた
国政選挙や地方選挙では
演劇部出身のかれが
ハンドマイク隊の組織名人となり
若いのに髭の濃いあいつが
ビラまき隊をきりまわし
涙もろいがんばり屋の彼女が
印刷屋顔負けのビラを書き
理屈屋の学者タイプの先輩が
炊事隊長になって〝おたま〟をもち
「落研」のカベ相手の練習生が
商店街で名弁士になって人気を集め
澄んだ声をよそいきにした女の子が
公明党に負けじとウグイス嬢になった
それらがみんな力を合わせて
ただひとつの願い
日本共産党の躍進のために
たたかった

その時にも
一人一人の生活には
安い賃金のことや
家の人の活動反対や
職場の三交代のつらさや
アルバイトで食いつなぐ学生や
その他もろもろの背景があった

だからこそ
たたかったともいえるのだ

めいめいが
ふるさとでない
この街で
六万青年の心をつかもうと
力を合わせた

かじりはじめの
マルクスやレーニンを
そして、日本共産党のたたかう道を
ときにはコウトウムケイな革命論まで
ひっぱりだして
笑いころげて夜を明かしたのもその頃

二階だての狭苦しい民青の事務所や
傾き掛けたボロボロの男子寮や
青年センターとして建てたプレハブの選挙事務所
ここに
ぼくや、ぼくたちの仲間の青春があった

青年同盟
このなかで
結びついた青春たち
この街での出会いが
ぼくの生きる道を決め
仲間の人生をつくっていった
大学を出て
大阪に帰ったやつも
紀南で教師になった先輩も
東京に党の専従としていった夫婦も
そして
何組かの仲間はふるさとでない和歌山市で
恋をして、愛を育み
結婚をして和歌山にとどまった

それぞれが過ごした
同じ時
すべては
日本民主青年同盟の
旗のもと
ときには
歌声をかさね
笑い
また
苦しんでは涙を流し
そして
未来を語り
自分の将来の目標に目を輝かせ
ありったけをこめて
生きていた

ぼくたちの運動は
和歌山の歴史を拓く力となった
今もまだ
ぼくたちは、この同じ道を行く


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雑感

Posted by 東芝 弘明