川端康成「朝の光の中で」が届けられました。

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9時15分、自宅に帰ると妻が話しかけてきた。
「男の人から電話があって、『朝の光の中で』のFAXを送ってくれたんやて」
「何時頃電話あったん?」
「さっき」
FAXを見ると光村図書の「中等新国語二」の表紙と川端康成さんの「朝の光の中で」が届けられていた。
「さっき電話があったんやったらかけてもいけるかな」
そう話していると電話が着信した。
「東芝です」
でるとFAXを送ってきた人からの電話だった。
川端康成さんのこのエッセイは、「美の存在と発見」というエッセイの一部であり、ハワイ大学での公開講座を文章にしたものだった。
記憶では、洗練された文章のように思っていたが、講演の語り口調がそのまま残っている文章だった。
川端康成さんが亡くなったのは、1972年(昭和47年)4月16日。ぼくたちがこの教科書に載った「朝の光の中で」を習ったのは1972年の4月だったと思う。習っていた頃と亡くなった時期は重なっていた。
教科書が作成されたのは昭和46年だった。教科書が作られたときに川端康成さんはまだ生きていて、教科書の作者紹介の部分は、1899年─ となっている。
「美の存在と発見」という講演の一部を「朝の光の中で」という表題で教科書に載せることを認めたのは川端康成さん本人だったようだ。
あらためてBlogが全国につながっていることを感じる。こういう形で交流があると書き続けてきたこと、全国とつながることの大きさに心が動く。
今回、送ってくださったヤッシさんは、ぼくのBlogへのコメントにこう書いてくれている。

さて、表記の件、県の教育センターに現物があり、コピーが可能でした。
 その記載内容を見る限りでは、川端氏の生前の掲載かと思われます。すると、川端氏は「朝の光の中で」というタイトルを容認していたかもしれません。
 教科書の「出典」には「美の存在と発見」(ハワイ大学における公開講座)の一文が、あります。


しかし、36年ぶりに「朝の光の中で」を読めるとは思っていなかった。
以前、ヤッシさんから教えていただいた「一草一花」という本も買って全文を読んでみたい。
ヤッシさん、誠にありがとうございました。
感謝しています。
追記
昨日の記事の中で、「川端康成さんが亡くなったのは、1972年(昭和47年)4月16日。ぼくたちがこの教科書に載った「朝の光の中で」を習ったのは1972年の4月だったと思う。習っていた頃と亡くなった時期は重なっていた」と書いたが、記憶に誤りがあった。
中学校2年の春は、1973年だった。この教科書が活用されていたのは、昭和47年版で使用されたのは1972年から1974年までの3年間だった(「朝の光の中で」は昭和47年度版にも昭和50年度版にも掲載されている。光村図書の中学校2年の教科書にこの作品が掲載されていた期間は昭和47年度から昭和52年度までとなる)。ぼくは、そのちょうど真ん中のとき(昭和48年)に中学校2年生だったので、「朝の光の中で」を読む幸運に恵まれた。
ちなみに、この教科書は、石森延男さんが編者になって作成されたもので、当時石森さんは昭和女子大学教授だった。石森さんという人物について、まったく認識がなかったのだが、ウキペディアで検索すると児童文学者で作家だったことが分かり、「コタンの口笛」の作者だということが分かった。
「コタンの口笛」は、小学生のころ読んだアイヌの物語だった。未明文学賞、産経児童出版文化賞になった作品。「コタンの口笛」は、成瀬巳喜男さんが1959年に映画化している作品でもあった。
中学校1年生の時の国語教科書の冒頭には、「この新鮮な気持ちを」という文章が載っている。この文章は、石森延男さんのものだった。内容はすっかり忘れてしまったが、この表題だけは記憶に残っている。ぼくの頭の中では、「朝の光の中で」という表題が記憶に残っていないで、カハラ・ヒルトン・ホテルという名前と「この新鮮な気持ちを」という表題がこんがらがっていた。
国語の教科書に載っていた「一切れのパン」のことも思い出した。この作品は、第2次世界大戦のとき、敵国人だとして警察に捕まり、捕虜として列車で運ばれる途中、列車の床板を外して逃げる話だった。逃げる間際にハンカチに包まれた一切れのパンを、ユダヤ人の教師から手渡された主人公は、このパンを何度も食べようとするが思いどとまり、最後の最後にとっておこうとする話だった。
ラストの主人公の言葉が記憶に残っている。
「ありがとう、ラビ」
この小説を読んだのは、高校生の頃だったと思っていたのだが、中学校2年のときの、つまり「朝の光の中で」が巻頭に載っている同じ教科書のラスト近くに載っている。ぼくは、授業中先生の話を聞かないでこの小説を先に読んでいた記憶がある。中学校時代は、まじめに真剣に先生の話を聞きながら授業に参加していたと思っていたので、てっきり高校の2年生のときの教科書に載っていた作品だと思っていた。
なんだか、こんがらがってきたが、この「一切れのパン」は忘れがたい作品だった。


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Posted by 東芝 弘明