スポーツからパワハラやいじめをなくすために

雑感

触発されることがあったので考えた。スポーツからパワハラやいじめをなくすために。

スポーツ界には、まだまだ集団主義や権威主義、根性主義的な傾向が広く残っているようにみえる。これらの根底には戦前の軍国主義的な礼節、忠義、武士道的な考え方がある。ただ、最近のトップアスリートへのインタビューを見ていると、こういう状況から脱しつつあるように見える。ようやく21世紀に入って、いい意味での個人主義と民主主義が、スポーツの発展の基礎に座りつつあるともいえるのではないか。
しかし、このような傾向と反するような指導者によるパワハラや体罰事件も後を絶たない。どうすれば、こういう状況を改善していけるのか。ちょっとだけ考えた。
実現すべき基本は、スポーツ界に選手の意見表明権を確立することだと思われる。この意見表明権は、小さい子どもにも当然保障される。
では、どのような仕組みを作ればいいか。ちょっとだけ構想(妄想)してみよう。

法制度がないので、県が指導者登録を進めればいい。県は指導者の活躍場所をサポートし、活躍場所を広げる中で、指導者の指導力量を高めるとともに、民主的な考え方に基づく指導理念を醸成する。指導者は県と契約を交わす。ここでいう県というのは県が作る機構のことだ。
この仕組みが機能するためには、登録制度にメリットが必要になる。ゆくゆくは登録しないと指導できないという仕組みをめざす。登録された指導者に指導を依頼すれば、安心して指導を任せられるというよいうに登録制度に価値を持たせるとともに、登録すれば、指導できる活動場所が広がるような仕組みが必要になる。
日本には、指導プロとして成り立つような仕組みがない。ボランティアではない指導者の仕組みを作るのには時間がかかるけれど、このような仕組みを作ることが、日本のスポーツの質を高める道だと思われる。
このためには、機構への予算も必要になる。指導者育成と維持のための予算のあり方は、関係者による議論によって組み立てられるべきだと思われる。公的資金(県と市町村)と団体からの基金、企業からの拠出金なども財源として検討されるべきだろう。
登録された指導者は、日本のスポーツの中に、スポーツを楽しむ国民の権利を広げ、フェアプレー精神を徹底し、スポーツを通じて基本的人権が守られる土壌をつくる。
それでももし、子どもを含む指導を受ける県民から、苦情が寄せられたら、この機構が設けた第三者機関が、違反を正し問題を解決する。機構の中に指導を受ける県民の意見を受け止め、問題を解決する仕組みをつくれば、指導者の育成と問題解決の仕組みが同時に機能する。指導する側の育成と指導を受ける側の意見表明権の確立、この両面が具体的に機能しないと民主主義は発展しない。この仕組みがあれば、指導を受けているチーム内のいじめも解決できる。スポーツにおける民主主義は単なる理念ではなく、具体的なスポーツの現場で体現されるべきスポーツにおける土壌でなければならない。

作られる機構は、スポーツをおこなう全ての人々を対象とする。それは学校教育や社会教育、民間のスポーツジムなどを色分けしない。指導をするためには必ず登録が必要だという仕組みの中で、スポーツする人々の基本的人権を守ることが貫かれる。
スポーツは、まず楽しむために存在する。スポーツ権は、国民の基本的人権に属する。同時にスポーツは、競技を通じて自己の身体的能力を伸ばし、知的にも精神的にも成長を実現するものであり、人間の能力の限界に挑戦するという側面をも強く持っている。スポーツには、人間を全面的に発達させるもの全てが含まれている。楽しみながらも競い合うスポーツが、個人の尊重と基本的人権の尊重の中でこそ発展するのだということを、21世紀は実現しなければならない。それは、日本のスポーツを大きく変える力になる。私たちは、スポーツが今以上に花開く未来への入口に立っている。

構想(妄想)おわり。

一般質問の原稿書きが遅れてしまった。やばい。


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雑感

Posted by 東芝 弘明