議会広報の会議。変革の途中にあり

雑感

今日も広報委員会。結局5時過ぎまで作業にかかってしまった。写真を掲載するために町内の各地を走り回り、旧新城小学校まで行ってきた。あと2枚、大谷小学校とこども園の写真を撮影する必要がある。
編集作業のためにWindowsをさわる必要があった。どの写真を選ぶのか見るために写真をダブルクリックして、ブラウジングするように矢印アイコンをおして写真を見ていっても、その写真をダイレクトに選べなかった。結局これがいいと思ったら、その写真を記憶して、ピクチャサムネイルの写真ファイルの中から選び直すという操作が必要だった。画像ファイルのブラウジングと画像ファイルの選択が連動していないところに原因があった。もう少し賢い選び方があるのだろうけれど、ぼくには分からなかった。
Macならカラム表示にしてファイルを選んでいくと、ファイルの画像がサムネイル表示される。画像ファイルの選択と確認が同一作業として実現している。こちらの方が操作が簡単だ。

パソコンを議会広報の編集で活用するようになったので、作業手順が大きく変化しつつある。議会事務局の職員が文章の訂正を行っていたが、その作業がなくなって、議員が自らパソコン上で文章の訂正を行うように変わった。ぼくは、その作業の中でもMacを使いたいというわがままな部分があるので、ぼくの編集した文書だけは、Macからメールで送信したが、それは結局一手間増やす煩わしさを生み出してしまった。

作業の工程が変化しているので、今回の編集終了後、編集方法の確認を全体で行う必要がある。変化を起こすというのは、日々の仕事の中で仕事の方法を変えることにつながるが、それをすると従来の定型的な作業方法に変化をもたらす。大きく変化が起こると人間の認識がついていけなくなる。脳には可塑性があるのだけれど、この可塑性には一定の時間を必要とする。脳は時間をかけて変化を受け入れる。急な変化に対応するためには、シミュレーションに基づく反復的な訓練が必要だけれど、ほとんどの場合は、一度きりの変化に対応する作業となる。変化を引きおこしていくとストレスが発生する。

編集委員全員で紙ベースで長時間かけて文章の校正を行いながら、編集会議を行っていた姿は、すっかり形を変え、役割分担に基づく個人作業へと姿が変わってきている。2人一組という組み合わせも、お互いが作成した文章を相互にチェックしあうという形になりつつある。面白いのは、個人による役割分担に基づく編集作業に入っていくと、個人のものの見方、考え方が紙面に生きてくるようになる。人間が作る新聞や雑誌というものは、役割分担作業による個人の仕事の領域があるので、生きた紙面になるのだとも思われる。集団で編集会議を行うよりも、個人の分担作業による編集の方が、紙面や記事にエッジが立ってきて面白いように思う。議会広報にページごとの個性が生まれつつある。その個性は、強烈なものではないが、生まれてくる個性が読み手を引きつけるような気がする。
集団の議論による編集では、結局はエッジが立たなくなって、丸っこい無難な紙面にしかならないのかも知れない。議会広報では、その記事を掲載するのかどうかという激論を何度も交わしてきた。しかしそういう編集スタイルは、過去のものになりつつある。


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雑感

Posted by 東芝 弘明