『忍びの者 真田忍者群』を読みはじめた
「真田丸」に触発されたことをこの前書いた。
今日は書斎の本棚を物色して村山知義の「忍びの者」を5冊探し出した。真田十勇士のことを題材にして書いた本は3冊。最初の本は、「真田忍者群」だ。村山知義は、1901年生まれ、1977年に亡くなった作家だった。『忍びの者 真田忍者群』は、昭和39年12月から昭和41年10月まで「赤旗日曜版」に連載された小説だった。ぼくがまだ4歳から6歳になる間に連載された小説だったことになる。
書き出しには、霧隠才蔵が和歌山県太地町の出身の鯨漁師だとして、村山氏が取材に太地を訪れていることが描かれている。この設定は、立川文庫が編み出した真田十勇士のものとは違う。日曜版の発刊が1959年だから連載されたのは、発刊から5年たった時期に連載されたことになる。
ぼくが購入した「忍びの者」光文社文庫の5冊。1990年の第2刷だ。議員になる歳に購入した本だ。それから26年間、この本は読まれないまま本棚に眠っていた。「赤旗日曜版」の黎明期に当たる時期に「赤旗」には真田幸村にまつわる小説を連載していたことになる。
この小説は、山本薩夫が2度映画化し、その後も監督を替えて何度か映画化されている。
真田十勇士は、架空の人物が多いらしい。1672年の『難波戦記』で真田幸村の活躍が描かれた。ウキペディアにはさらにこう記されている。
「江戸時代後期には、小説『真田三代記』が成立し、真田昌幸・幸村・大助の三代が徳川家に対して奮戦するストーリーが人気を博した。この『真田三代記』において後に十勇士と呼ばれる人物や、似た名前の人物が多数登場し(同姓の人物も含めると、猿飛佐助以外の人物がこの時点で登場している)、「真田もの」の講談の流行によって、真田主従は民衆のヒーローとなった。」
猿飛佐助の登場はもっと後のようだ。明治以降の講談師によって生み出されたのが猿飛佐助らしい。江戸時代の『真田三代記』に猿飛佐助が出てこないのでそう言われている。ただしモデルとなった人物がいるという話もあるので、現在でも架空説と実在説が入り混じっている。
真田十勇士という設定は、講談師の話を文庫にした立川文庫によって確立した。
立川文庫での霧隠才蔵は、百地三太夫の元で修行をした伊賀忍者で石川五右衛門の兄弟子という設定になっている。『真田三代記』には、霧隠鹿右衛門という忍者が登場する。いずれにしても、真田信繁を幸村という名で呼んで、江戸時代に話が作られ、明治になってから真田十勇士が生み出されて来たようだ。江戸時代や明治時代をへて真田幸村と真田十勇士の物語が、多くの講談師や作家の手によって描かれてきたが、それだけ真田のたたかいというのは、庶民に愛されてきたということだろう。
村山知義の文体は古くないし、文章は短いので読みやすそうだ。池波正太郎の「真田太平記」は、全12巻(新潮文庫)もある。この本はセット買いしようとしているが7000円は高い。もう少し安い中古本を探そうと思っている。
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