原稿用紙10枚を書く力 2005年8月1日(月)

本の紹介

齋藤孝さんの本、「原稿用紙10枚を書く力」を数日前に読んだ。この本はなかなか面白かった。
「原稿用紙10枚という分岐点を超えたら、後は二十枚も三十枚も同じことだ。そんなに大きな差はない」
表紙をめくるとブックカバーの裏側にこう書かれている。読み始めたらすぐ、自分は原稿用紙10枚を書いているのだろうか、ということが気になった。
結論から言うと、このBlogの中にも原稿用紙10枚を超えた記事がある。最も長いと思われるのは、十五社のクスノキと佐藤春夫の校歌である。原稿用紙で表示してみると400字詰めで13枚程度になる。「東芝さんのBlogは長い」というコメントをいただいたのもうなずける。
長い文章になることはそんなに気にしていない。
自分の日記だから、長くなってもいい。大切なのは文章力をつけるということである。毎日、大量の文章を書くことが文章力をつけると信じる。Blogは文章修行の絶好の機会だ。
齋藤さんは、10枚書くことが大事で、原稿用紙10枚かけたら、1冊の本でさえ書けると言い切っている。文章を書く努力を積み重ねないと文章は上手にならない。
これは実感としてよく分かる。
たとえば一般質問。ぼくの3月議会を例に取ると、原稿用紙に移し替えて表示してみると(パソコンはこういうこともできる)、20数枚になった。質問を組み立てるとき、構成をねりあげるわけではない。資料を読み込んでいけば、自然に質問の論旨が組立っていく。大事なのはギリギリまで資料の読み込みに時間をかけることだ。物事に対する理解が構造的に組み立っていけば、文章は書ける。頭の中で整理がついていれば、原稿も自然に整理される──レジメなんか書かない。これがぼく流のやり方だ。
齋藤さんの本で思わずうなってしまったのは、起承転結の下りだった。起承転結の文章を書く場合、大事なのは転だという。転は変化だから驚きという感情もある。心を動かした転の部分を大切にして書けば、結果として起承転結になるというのだ。
多くの文章読本を読んできたが、これほど明快に起承転結を説明した人はいない。
文章読本の多くは、まともに起承転結を説明していない。たとえば、最近読んだ本の中では、起承転結など考えるなという説明まであった。結果として文章は起承転結になるということだった。起承転結などと考えるから文章が書けないのだという。この乱暴な意見は、これで正しいと思う。それほど起承転結というのは難しい。
「考える順番で言えば転が最初」「『転』を思いついたら、あとは『起承』を無理にでもくっつける」──齋藤さんの転を中心に書くという提案は、本質を突いている。起と承を受けて鮮やかに転じようと考えるから書けないのだ。そうではなく、「常識ではこう信じられているけれども、実はこうだ」というような驚きが先にあって、この驚き(いわば飛躍)を中心に据えて書けば、起承転結はできあがる。ここに起承転結の極意がある。
この起承転結の下りを読んだときには得した気分になった。
3つのことをつなげて書く──「できるだけ離れて重ならない三つのキーコンセプトを取り出して、それをどうつなげられるかに、その人の能力・才能がかかってくる」──この話も面白かった。齋藤さんはレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」を見たときに、自分に引っかかってくる3つのことを考えるようにと書いている。背景や手、視線に注目するというように。そうすれば、「美しかった」という感想ではない文章が書けるという。
「自分に食い込んできたものを三つ上げるという技は自分なりの角度のついた文章を引き出すことになる」
なかなかおもしろい。
文章の上達方法は、書いて書いて書きまくることにある。いろんなことを自由自在に書くことによって筆力がついてくる。スポーツのシーンなどを自由自在に書けたらすばらしい。目指すのは鮮やかに目に見えるような文章。
道は遠い。


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Posted by 東芝 弘明