自転車屋さん

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「東芝さん、チェーン、伸びてるみたいやな」
自転車屋の向かいの家に新聞を配ると声をかけられた。
「チェーンを張るのはサービスでさせてもらっているんや」
単車を店の中に入れて、手際よく作業をして、Kさんは笑った。
そのお店のシャッターが閉まったのは、まだ暑さが残る頃だった。
「どうも入院しているらしい」
笠田の街には、自転車屋さんが1軒しかない。
街の人々は、次第に自転車や単車の修理にこまりはじめた。
おととい、Kさんの告別式を告げる看板が国道沿いに立った。
4月30日の告別式は、よく晴れた晴天のもとでおこなわれた。セレモニーホールの駐車場には、かなり多くの車が並んでいた。
写真の顔は町の人みんながよく知っているあの笑顔だった。青いつなぎ姿の細い体が思い出された。
3人のお坊さんの読経だけがホールに響いていた。
長男の方が喪主としてあいさつをおこなった。
「昨年の9月、肺にがんが見つかりました」
わずか8か月しかたっていない。
棺の中の顔は、病を刻印しているかのように見えた。花が多くの人の手によって、体の回りに添えられ、花に囲まれてKさんは目を閉じていた。
感謝の言葉とともに花を置きたいと思っていた。街にとって、あなたの存在は大きかった。
「お店の中の道具が運び出されたみたいや」
冬に向かう少し前にこんな噂が聞こえてきた。
笠田の街の人々は、お店のシャッターが開くことを願っていたのだと思う。しかし、自転車屋さんのシャッターは、まだ暑い盛りに閉じられ、開店することなく、季節の移り変わりに寂しさを付け加えるようにして告別式を迎えた。閉じられたシャッターには、告別式を案内する張り紙があった。
Kさんは、笠田の街の自転車と単車を支えてくれていた。単車のパンクだといって、何度修理してもらったことだろう。今乗っているホンダのスーパーカブもKさんの所に入った中古を買ったものだ。娘の自転車のパンクも随分Kさんのお世話になった。自転車と単車は、街の人々の大事な足で、この足はKさんのお店によって維持されていた。Kさん優しい笑顔は、大事にしてくれた自転車や単車に残されている。
お店が次々に閉店していく中でも、Kさんのお店と散髪屋さんとお肉屋さんと整骨院と薬局は、にぎやかな商店街だった町の姿を今に伝える大事な街角だった。四つ角のお店の中で、一番間口の大きい自転車屋さんの灯は、Kさんの細身の体に支えられていた。
自転車屋さんが街から消えた。お店が街を支えている。笠田の街は、Kさんを失って、街の大切な機能の一つを失った。
「ご冥福をお祈りします」
弔電の言葉が胸に届く。
多くの人が、棺の入った車を見送った。クラクションが、長く響いている間、人々は両手を合わせて頭を下げた。


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Posted by 東芝 弘明