核兵器禁止条約の意味

雑感

朝起きると肌寒かった。
玄関に向かって立ったときに、新聞配達のない日だったことを思い出した。
リビングに入り、エアコンのスイッチを押してテーブルに座ったのは5時15分頃だった。
「気温は上がらないかも知れない」
そんなことが頭に浮かんできた。
午後からの会議のためにレジメを書き始める。
昨年の秋以降、こういうことが増えた。何をなすべきなのか。先を見て考えることが増えた。
考えはじめると集中力が増してくる。書き込んでいくと考え方が立体的になってくる。

大学の初日の授業があるという娘を駅に送ってから事務所に行った。誰もいない事務所に入り、準備をするのは少し気持ちがいい。準備をしていると、1人、2人と人が増えてきて1日が始まる。今日は10時から会議をして、さらに午後1時30分から会議をした。
会議では、国連で開かれた核兵器廃絶のための会議に参加した志位委員長の報告を読み合わせした。
核兵器禁止条約の締結から包括的核兵器廃絶条約への道筋について、考え方を深めることができた。
たとえると、核兵器禁止条約は、拳銃を持っていてもいいが、使用は一切禁止するというものだ。
この条約が締結されたら拳銃の使用は一切禁止ということになる。
この時点では、拳銃の新たな所有は認められなくなる。ただし、今まで持っていた人は所有を認められる。
でも禁止条約が締結されると、拳銃を持っていることの意味は限りなくゼロになる。
包括的核兵器廃絶条約というのは、拳銃の所有も禁止というものになる。
今までの所有が認められている人も、一切の使用を禁止され、使用することが犯罪だということになると、所有する意味がなくなってくるので、所有そのものの禁止へと向かわざるを得ないという道が開けてくる。

アメリカは拳銃の所有が認められている国。使用すると犯罪になるが、使用の仕方によっては正当防衛が成立するという幅がある。
日本は、銃刀法によって所有そのものが禁止されている。日本の国では拳銃の所有そのものが犯罪になる。そうなると銃の使用も所有も禁止されることになる。
アメリカと日本、どちらの国が安全なのかといえば、所有と使用を禁止している日本の方がはるかに安全だ。
核兵器の廃絶へのプロセスも、使用の禁止から所有そのものへの禁止へと向かう中で実現しようというものだ。

志位委員長の一行は、国連の核兵器廃絶をめざす国際会議に正式メンバーとして参加し、廃絶へのプロセスを明確にするために38カ国の国々の代表と交流し、発言する機会も得て日本に帰ってきた。国際社会は、今年の7月に向けて核兵器禁止条約の締結を行うことになった。世界の平和に向けて国際社会は、巨大な動きを生み出しつつある。

核兵器の使用禁止。この大義名分に真正面から反対する国は、国際社会から孤立するのではないだろうか。
アメリカにしても北朝鮮にしても、核兵器禁止条約は、非常に意味のある条約として締結すべきものになるのではないだろうか。

夜になって、夕食をすませてからは眠たくなった。
5時起きをすると、たいてい夜は眠たくて仕方がないという感じになる。体力が落ちてきているのかも。


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雑感

Posted by 東芝 弘明