意識とは何か

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「人間の性格は変わるか」
という表題で書いた記事の全体がどうも気に入らない。
あのあと、古い本を引っ張り出してきて読んだ。「意識論の新たな地平」というものだ。
半分ほど読んで、読み進める気持ちがなくなった。
意識とは何か、感情とは何か、認識とどう違うのかというようなところにとどまっていて議論がなかなか深まっていかない。自分の書いたものも、全面的に否定したくなるほどの不十分さを痛感している。
「性格は変わるか」というぼくの文章は、意識とな何かという問題に対し、物事の差異を分けてていねいに論じていくというアプローチを欠くものになってしまった。意識の問題と感情の問題、性格の問題などは非常に深く絡み合っている。
論じる前に探究していくべき方向(問題意識)を見定めておくべきだった。
ということで、今日は整理のための考察ということになる。
意識とは何か。
ぼくが語ろうとしている意識は、社会的な意識などとして語られているものではなく、人間の脳を通じて芽生えてくる意識のことであり、知覚・感覚・認知などと密接に絡んでいる意識のことだ。
意識という言葉自体、広い意味がある。
「社会的存在が社会的意識を規定する」という唯物論の命題がある。この命題で語られている意識は、知覚・感覚・認知などよりももっと幅の広いもので人間の認識にも深く関わっている、社会生活上の意識、ものの見方の傾向のような意味を含んでいる。
意識を論じる場合、意識という言葉のもつ意味を区別して、論じなければ、論議に混乱が生じる。
ぼくがまず探究したいのは、知覚・感覚・認知に関わっている意識だ(社会的意識を論じるには、ぼくが論じようとしている意識とは違ったアプローチが必要になる)。
この問題を解明するためには、脳科学の最新の知見が必要だろう。
大事なものの一つは、人間の意識は、幼児期の成長のプロセスの中でどのようにして形成されていくのかということだと思う。このことが、明らかになってくれば、人間の意識形成の過程が見えてくる。
人間の発達のプロセスの中での意識の芽生えの解明の上に立って、意識が脳のどのような働きによって、芽生えていくかがさらに明らかにされれば、さらに新しい一歩が開かれるように思う。
科学的な知見によって、人間の意識の生育過程(獲得過程)と意識を発生させる脳の働きが明らかになれば、意識論の発展に寄与できるにちがいない。
だが、現在の到達点では、脳科学的な知見だけでは、前に進めないだろうとも思われる。
脳の細かい機能についてはかなり分かってきたが、心がどのようにして生まれるのかというような問題について、まだ脳科学は、ほとんど分かっていないということを海馬を研究している池谷裕二氏が語ったことがある。意識の問題も心と同じように、まだまだ未解明な問題が数多く残される。
家には茂木健一郎さんの「意識とは何か」という本もあった。この本にも脳科学は意識をまだ解明できないことが書かれている。茂木さん自身が展開している論理も非常に哲学的だ。
意識の問題については、脳科学のさらなる発展が、未解明な問題に分け入って次第に明らかにされてくるだろうと思われる。
では、現時点で意識論を発展させるために、哲学はどのような役割を果たすのだろうか。
人間の意識とは何かという点について、これに関わっているのは、脳科学、人間の発達を扱っている科学、心理学、認識論、言語学などだろう。さらに、これ以外にも深い関係のある分野はあるかも知れない。
哲学は、これらの研究の成果をくみ取って、意識論を論じる必要がある。そのような努力が、今後の脳科学の発展にも寄与していくように思う。
意識論の未解明な分野に分け入って論じていくと、今日の到達点では、その論議は、極めて哲学的なものにならざるをえないように思う。
言語の獲得過程と意識の問題のさらなる解明も大きな課題だし、人間の意識が、自我を見いだし、自我をも相対的に認識して、自分で自分をある程度客観的に把握するということについての解明も必要になる。
脳の働きに障害が生じたら、人間は自分自身を認識できなくなる。意識をもつということは、自我を認知するということに他ならない。脳は、日常生活の中で五感を通じて外界を能動的かつ受動的に反映している。また自分自身の存在をも対象化して反映している。
絶対音感を身につけた人は、オーケストラの楽器の音を聞き分ける。プロの映画監督は、映像に対する美学を豊かにもっている人が多く、感覚的に、瞬時に、よりよい絵を撮る視点をもっている。カメラマンの撮る写真もしかり。
プロの人々は、超感覚的ともいうべきものを身につけて、自分の得意とする分野においては、「プロの目」というようなものを身につけている。そういう感覚はどうして身につくのか。
こういう感覚も意識の働きに他ならない。脳や身体は、非常に高い可能性を秘めており、対象からものすごく豊かなものを感じ取る力をもっている。瞬時に物事の本質を感じ取る力は、努力によって、鍛錬によって、豊かになる。こういう意識や感覚もやがては解明されていくだろう。
人間は、会話を瞬時に判断しておこなっている。相手の言葉にただちに反応している。複雑で豊かで専門的な議論も、瞬時に口をついて出てくる人がいる。脳は、潜在意識の中で瞬時に情報を分析し、判断し、会話を成り立たせている。こういうことがなぜ成り立っているのか。これらもやがては解明されるだろう。
さて、ある程度、問題意識を整理したので文章を終わることにする。意識論。
答えのでない問題だが、今後もさまざまな本を読み、考えていきたい課題である。


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Posted by 東芝 弘明