長野県川上村視察記

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川上村は、長野県の中部の東側の最南端にあり、千曲川の源流の村だった。
この村は、レタス(出荷量の50%)と白菜(出荷量の37%)を中心に野菜を作っている産地で、レタスの生産は、最盛期では全国シェア70%を占めている。平成20年の野菜の総取引高は134億3,534万円、その内レタスは75億5,848万円(56%)を占めた。農家の平均年収が、2500万円を超えた年もあった。今年はさらにこの水準を上回りそうだという。
農家戸数は600戸で一軒当たりの労働力は、家族4人に中国からの研修生2人、日本人のアルバイト1人の7人程度となっているようだ。農業後継者の平均年齢は29歳。若い。レタスの出荷は6月下旬から9月末まで(今年は10月にずれ込んだ)。この時期の農家は、深夜1時に起床し早朝出荷を行っており、村ではこの時期を120日戦争だと言っている。この時期の農家の就寝は午後7時。女性でも9時には就寝してしまうという。
長野県南佐久郡川上村は、元々は豊かな村ではなかった。この村は、役場のある中心地で標高が1,185メートルもあり、冬場はマイナス20度近くになる寒冷地です。朝鮮戦争までは、細々と穀物を作って生活していたので、非常に貧しく出稼ぎや満蒙開拓団としての入植も多かったようだ。
1950年から1953年まで続いた朝鮮戦争の時に米軍の指示によって、レタスを生産するようになり、戦争後山林を切り拓く開拓を積極的におこなって、日本一のレタスの産地となった。開拓によって耕地面積は800町歩から1800町歩に拡大している。貧しかった村にも戦後引揚者が増え、村の人口は一時期、6000人ほどになった。朝鮮戦争後の山林の開拓は、人口が最大だったこの時期におこなわれた。
村には3つの農協があり、この3農協と連携して村が積極的に農業振興をおこない、販売促進のコマーシャルやプロ野球球場でのレタスの無料配布、村の自主事業としてのレタスの海外輸出などを行っている。
平成4年か5年頃から藤原忠彦村長は、農業振興を成功させるためには、医療・福祉・介護・教育・文化環境の向上を図る必要があるとして、農業振興とともに住みよい村づくりをおこなってきた。24時間オープンの図書館、村民の使用料無料の文化センター、お年寄りには無料の公衆浴場、同じく無料のバス、高校を卒業するまで医療費が無料などの施策が実現している。その結果、長野県内で最も1人あたりの医療費が最も安い村になっている。巡回バスの運行も順調で黒字が続いているという指摘もある。視察の中で村長は、「収入には限界があるが、人間の欲望には限界がない。収入を向上させる産業振興だけではうまくいかない。医療・福祉・介護・教育・文化の充実を図って要求に応える村づくりをめざしてきた」と説明した。この説明は、本質をついた卓見だと感じた。
(視察についての感想)
戦後、引き上げ者が多かったという平均年齢の若い時代に、危機的な状況から立ち上がった川上村は、レタスの生産に村の存亡をかけた。話を聞いていると、かつらぎ町の農家の平均年齢が高いこと、農業後継者がなく、廃農や耕作放棄地が年々拡大していることが浮かび、「もう手遅れか」という気持ちになった。わが町は、気候が温暖で、多品目のフルーツがとれる町だ。北の山に隔たれているとはいえ、大阪が通勤圏内である。これらは、恵まれた条件だといえるが、それだけに危機感が希薄だったといえるのではないか。川上村と比較すると、農業の衰退に歯止めをかけなかったわが町の危機は深刻だ。
本町で農業を再興するためには、農家の所得の向上を追求しながら、農業後継者づくりと農産物の加工・販売などで活路をひらく必要がある。困難は山積している。しかし、あきらめたらおしまいだろう。
川上村の医療・福祉・介護・教育・文化についての施策は、本町と比べるとユートピアのように感じた。しかし、住みよい町をつくるためには、これらの施策の充実がどうしても必要だ。「かつらぎ町ユートピア計画」なるものの実現をめざしたい。


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Posted by 東芝 弘明