対話から見えてくるもの

出来事

対話をしていると1日がかなりドラマチックになる。いろいろな人の生活が見えてくる。4年経った間に認知症になった人や病気をした人、奥さんが施設に入り、一人暮らしになった人、障害が悪化した人、色々なことが起こっている。政治は、高齢化が進んで変化して行く人間の生活によりそうべきなのに、日本の場合、これらの問題への対応を優先せず、政治的に増える負担増を切り捨てたり、縮小したりしている。
社会保障分野の経済ビジネスという発想もなく、余計なもの、国の事業を圧迫するものであるかのように攻撃をしかけている。

「我亡き後に洪水は来たれ」
大企業が見ている経済的な世界の中に、国民の暮らしはない。国民の暮らしに経済の力を振り向けるのが政治の役割だと思うが、日本の政治は、アメリカと大企業に奉仕し、国民生活を悪化させている。この道は、日本衰退の道であり、確実に日本国内の市場が縮小しているのに、国民の生活が豊かになり、かつ大企業も潤うという高度経済成長がたどった道を分析さえしない。
戦前の非常に狭い国内市場は、戦争による国土の荒廃という形をもたらしておしまいになり、戦後狭かった国内市場は、農家への土地の提供と労働者の所得向上によって打ち破られ、高度経済成長が準備された。現在日本の日本再生は、社会保障の充実と労働者の賃金向上、労働法制の整備(残業なしに働ける環境づくり)にあるだろう。

「我亡き後に洪水は来たれ」
という資本の動きにくさびを打ち込めるのは政治しかない。政治は国民の生活に深く立ち入って、目の前で起こっていることに真剣でなければならない。日本共産党などの政党が自己主張として、語るのではなく、この問題は政治全体の問題だ。そのことに気がついていない政治こそが問題だ。


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出来事

Posted by 東芝 弘明