日本共産党のすすめ

日本共産党,未分類

文化人類学者である上田紀行(東京工業大学准教授)さんの話をポッドキャスト「学問ノススメ」で聞いて、いたく共感した。
終戦の時の政治家の判断と原発事故に対する東京電力や政府の判断には、同じ構造があるという話だった。少しかいつまんで紹介しよう。
東条英機は、極東軍事裁判(東京裁判)で”私個人は、戦争に反対だったが、一国の首相という立場からは戦争へ向かう動きの中で、戦争突入に反対することはできなかった”(記憶で書いているので正確ではない)という主旨のことを語っているという。他の軍人や政治家も似たり寄ったりの証言をしている。
このような態度と同じようなことが福島原発の事故についてもいえる。安全神話の中で、原発に反対する意見に対しては、顧みられることはなかった。それ故に事故が発生した。
東京電力の社長は、たまたま、社長に就任した結果、福島原発の事故に遭遇してしまい、社長として誤らざるを得なかった。日本人の中には、たまたま社長になったので、大変な事故に遭遇してしまった。社長さんはかわいそうだ。社長さんも犠牲者ではないか。
こういう見方をする日本人が存在している。
がんばろうという言葉が、盛んに語られている。しかし、一体何をがんばるのか。社会の枠組みに問題があるのなら、その枠組み自身を変える努力が必要になる。枠組みを変えないでがんばろうというのでは、何をがんばるのかさえ分からない。おかしいと思ったら勇気をもって、問題点を指摘し改善を具体的に提案する。こういう日本人が多くならないと社会は変わらない──上田紀行さんの結論はここにあった。
21年間、日本共産党の議員として、議会で正すべきことを正してきたという自負がある。実は、問題点を指摘する際に躊躇したことは多い。手が震えたこともあった。しかし、いま、この問題を指摘する必要がある──こう考えて勇気をもって発言した。このような積み重ねによって、日本共産党の仕事が光ったとも思っている。
上田紀行さんの話を聞いていると、辞任の意味が見えてきた。日本人の多くは、出世することによって、いろいろな役職がつくようになる。しかし、この役職は、名誉のかたまり、授けられたポストだと考える人も多い。
以前教育委員のある方が、私の議会での質問などに共感し、話しかけてきたことがあった。
「私の立場からは、言えませんが、議員さんのいうとおりだと思います。頑張ってください」
この教育委員の方は、自分の役職があるので、おかしいと思ってもそれは言えないと考えていたのだと思われる。
役職というのは与えられたもので、名誉なこと。こういう考えがなければ、上のような発想は出てこないだろう。名誉である役職と地位を与えられたら、小さくまとまって、立場を守ろうとする人が多い。責任を取って辞任するというのは、居心地のいい役職を捨てることを意味する。
アメリカ人はこう考えないようだ。役職についたら、自分の力を活用して積極的に仕事をし、物事を判断するのだという。
上田さんの考え方をもう少し紹介しよう。
人間として、自立することが求められている。自分の意思で物事を判断し行動する。責任は、過去に対して取るのではなく、子どもたちや次の世代に対し取るものでなければならない。こう考えると、これから行うことに対して責務を持って判断し対応するということになる。
日本共産党という組織は、たえず日本社会の進むべき未来を展望して、政策や見解を立てている。日本社会の中で日本共産党は何をなすべきなのか、というものの見方考え方は、未来に対する責任、責務に他ならない。未来に対して責任を持たない政党に日本を語る資格はないだろう。
21世紀は、日本の高い生産力を生かして、国民が豊かになる時代にしたい。そのためには、日本社会が抱えているアメリカに対して頭が上がらない問題と日本の巨大企業に対して、積極的に忠誠を尽くすという2つの問題を解決する必要がある。
国民主権は、形の上で実現している。しかし、国民主権の内実は、いつも大きな侵害を受けている。国民に対して奉仕する国会をつくることが、国民の幸せの条件をつくることに深くつながっている。
自分の頭で考え、幸福を追求する── 一度しかない人生を今以上に豊かに、主体性をもって生きていただきたい。そのためにも多くの人に日本共産党に入っていただきたい。
本気でそう思っている。


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Posted by 東芝 弘明