政治のことが分からないってどういうこと?

雑感

twitterにこんなつぶやきがあった。

選挙のことで彼女と喧嘩までしたんだけどな、どこの政党を支持するとかって話じゃないんですわ。『わからないものはわからない』って言われたんです。学校で政治や選挙のことなんか教えられてないから、選挙に行けとか言われると上から目線に聞こえる、って言われたんですわ

10代の男の子のつぶやきにもこんな意見があった。”政治のことがさっぱり分からない。何が正しいのか、どの政党がいいのかもさっぱり分からない。学校では何も教えてくれない。”

ネット上の議論にはこんな発言も。

「わかんないままでいいと思います。
そもそも専門的な学問の領域ですし、別に死にはしません。
政治経済がわからなくても、買い物ってできますよね。だから、大丈夫です。
その話が好きな人は多いので、わかったふりして聞き流しましょう。」

こういう意見の人は、結構いるかも知れない。なぜこういう人が多いのか。ということを考えることも必要だろう。
同時に、こういう人々に届く訴えとは何なんだろう。ということも考える必要があると思われる。

ネットで検索すると次のような文章に出会った。

イギリスのブライスは 「 地方自治は民主主義の学校だ 」 といった。 
身近な問題をあつかう地方自治に参加することによって、民主主義を学ぶことができ、政治に参加する姿勢も育つ ―― という意味である。
19世紀のフランスの思想家・トックビルは 「 民主主義下では、個人が自由なように、地方団体もその地域に関することについては独自性をもつべきだ 」 「 自治的な制度の自由に対する関係は、小学校が学問に対して持つ関係と同じである。」 と語った。 著書には 『 アメリカの民主政治 』 がある。

なぜこういう人が多いのか。という問題は別の機会に考えることとして、どう働きかけるべきなのかという点で、地方自治体の果たす役割は大きいのではないかと思われる。

学校の生徒に対する予算はどうなっているのか。どうして、あの臭い匂いのするトイレの改修は実現しないのか。学校の予算というのはどのようにして成り立っているのか。なぜ小中学校の教科書は無料で高校になるとお金が必要なのか。高校の授業料の仕組みはどうなっているのか。学校にある図書の本は、誰が買っているのか。
理科の教材備品や吹奏楽の楽器は、誰が買ってくれているのか。
小学生でも中学生でも、高校生でもこういう問題に対して、調べたり考えたりすれば、必ず見えてくるものがある。

地方自治体は民主主義の学校だという言葉には、地方自治体が行っている仕事について、調べていけば民主主義が見えてくるということだろう。こういうことを小学校の時代から積み重ねていれば、自分たちがどういう世界に生きているのかも見えてくるのではないだろうか。高校生が18歳になったら投票権を持つというのであれば、小学校の頃から地方自治体の仕事を通じて、政治のことを皮膚感覚で学んでいけばいい。

人間のくらしは、自然と政治と経済と文化によって成り立っている。人間社会を理解するためには、政治と経済が欠かせないのだから、学校の学びが自分たちの身のまわりのことを深く理解することを通じて、自分の頭で考えるようになれば、政治は分かる世界に転じるのではないだろうか。

この問題で、娘に話を聞いてみた。中学校時代、子どもたちは生徒会に対してさまざまな意見を上げていた。意見は2種類に分かれていた。一つは予算の必要な改善提案。もう一つは学校の運営に関わる予算の必要でない改善提案。どちらに対しても、学校側は、「それはだめです」というように意見を返すことが多かった。学校の校則(心得)を生徒自身の手によって変えるというものに対してもダメ出しが多かったらしい。
「生徒を支配するための校則ではないのか」
「学校側はめんどくさいんやと思うで。でもね、そういうことを繰り返していると、何を言っても変わるとは思えやんと子どもたちは思う。大人になったらこの影響は大きい」
教師は、子どもたちの成長の目を奪っていることを自覚していないと思われる。

この問題から話になって、「小学校時代は、子どもたちの多様な意見を教師は組織すべきであって、政治などの話で自分の意見を述べるべきではない」という娘の持論を聞いた。


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雑感

Posted by 東芝 弘明