歴史から学ぶことの意味

雑感

一般質問の通告を行った。今回は歴史認識と日本国憲法について基本的な見解を問うということにした。中学校の2年生の歴史教科書を活用した質問になる。かつらぎ町の戦没者は1044人だという(西南の役以降の戦没者。慰霊碑は妙寺公園の中にある)。町史についてももう少し調べたいと思っている。アジア・太平洋戦争からポツダム宣言受諾へ。そして日本国憲法の制定へ。この変化の中に日本の戦後の原点がある。

「そのときになってひろ子は、周囲の寂寞せきばくにおどろいた。大気は八月の真昼の炎暑に燃え、耕地も山も無限の熱気につつまれている。が、村じゅうは、物音一つしなかった。寂せきとして声なし。全身に、ひろ子はそれを感じた。八月十五日の正午から午後一時まで、日本じゅうが、森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な頁を音なくめくったのであった」

これは宮本百合子の『播州平野』の一節だ。この小説のこの文章ほど、1945年8月15日の正午のあの時を歴史的な時間の中で表現した文章はないのではないだろうか。

ぼくたち戦後生まれの人間は、歴史から学ぶ必要がある。第2次世界大戦は、自分たちの体験を通じて学べるものではなくなっている。僕たちの世代は、第二次世界大戦にいたる事実を知り、そこから何を学ぶかが問われている。ぼくたちには遠く感じるが、第2次世界大戦にいたる歴史は、今から100年足らず前の時代のことだ。ほんの少し前の歴史だが、その時代に生きていなかった僕たちには責任はない。しかし、現在に生きる人間には、歴史的な教訓を踏まえて未来をつくる責任がある。

人間は体験を通じて学ぶことが多い。しかし体験だけでは学べないものがある。むしろ自身の体験を超えて学ぶところにこそ学びの本質がある。自然科学にしても社会科学にしても、自身の体験では手の届かないものから学ぶことの方がはるかに多い。
自分体験を超えたもの、手の届かないもの、肉眼では絶対に見えないもの、そういうものから人間は謙虚に学んで歴史を作らなければならない。体験していないから分からないというのは、何も学んでいないことにたいする言い訳だ。多くのことを学ぼうとしている人は、自身の体験をはるかに超えて学んでいる。

歴史的事実を覆そうとしている動きが強く存在している中で、確定しているはずの歴史的事実が歪められて相対化されている。どちらが正しいか分からないという傾向を数多く生み出す中で、権力に迎合して「確定されてきた歴史的事実」に対して公然と異論を唱える人が増えてきた。歴史に対しては、「学校で習ったことは間違いだった」というとんでもない意見もネット上では飛び交っている。

そういう歴史の相対化を生み出しているのは、「歴史修正主義」の運動だろう。事実をねじまげてウソを広げて歴史を歪曲しようという背景には、日本の現在を戦前のような社会に戻したいという意図がある。歴史に学ばないで未来を作ろうという勢力は、「天賦人権説」を否定し、基本的人権に対して制限をかかる規定を憲法に盛り込んで、国家権力に交戦権を与えようとしている。基本的人権と国民主権と恒久平和。この原則をひっくり返すために歴史を修正しようとしている。

「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」(R.ヴァイツゼッカー「荒れ野の四〇年」1985年5月8日、ドイツ連邦議会演説)

この言葉を胸に刻んで一般質問に臨みたい。


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雑感

Posted by 東芝 弘明