78年目の原爆忌に

雑感

広島、長崎に原子爆弾が投下されてから78年が経った。長崎からは、「長崎を最後の被爆地に」という声が届けられている。広島からも長崎からも核抑止力論からの脱却を訴え、核兵器禁止条約の署名・批准を求めている。

広島、長崎に原爆が投下され、この2つが被爆地となり多くの死者と被爆者を生み出したことは、戦後の再出発の原点になった。戦争をもう二度と繰り返さないという決意は、被爆地である広島、長崎を含む多くの人々からのメッセージであり、日本における非戦の誓いは、核兵器廃絶と一体のものだった。憲法9条に込められた思いの中には、広島・長崎からの魂の叫びが込められていた。

この精神に戦後の原点がある。憲法9条は国民に支持され強い生命力をもった。全世界で5000万人もの命を奪った戦争に対する人類の最高の到達点が憲法9条という形に結晶化している。第二次世界大戦の最後の最後まで、侵略戦争に固執した日本の地で生まれた憲法9条。明治以後、侵略戦争に明け暮れた日本は、立場を大きく変えて、戦争しない国として再出発した。ここに戦後世代の誇りがある。戦争に翻弄された父や母の願いは憲法9条に重なる。

憲法9条と戦争をしないという誓いによって、日本は国際社会に復帰しその地位を得た。戦後78年経って平和が再び危うくなっている今日、日本政府が憲法9条を掲げ、21世紀を平和な世紀にするために全力を尽くすと宣言することが、どれだけ大きな力になるか。このことを考えてほしい。第二次世界大戦によって命を失った人々、日本の戦争によって命を奪われた人々に対し、日本はこれからも、戦争をしない、武器を持たないということを誓ってほしい。平和への誓い、犠牲者への魂の鎮魂は憲法9条とともにある。

日本政府が、こういう立場に立てなくなり、アメリカと一緒に戦争準備に明け暮れるような国になっているいま、問われなければならないのは、こういう勢力が本当に国家を担ってもいいのだろうか、ということである。

日本国憲法が生まれたとき、民主主義国家としての日本は、まだその歩みを始めたばかりだった。
初心は強く新鮮だったが、しかし国民生活の隅々まで、そう人間でいえば指先や手足の先の先まで、民主主義というものの血は通っていなかった。
戦後78年間の歴史によって、民主主義は、紆余曲折を経ながらも国民生活の中に浸透し、それは今ジェンダー平等というテーマとして、すべての国民の前に現れている。
この時代の中に日本国憲法を据え直すと希望が見えてくる。

日本国憲法は、戦後78年間の民主主義の蓄積の中で、日本国憲法に導かれて生み出された民主主義という大きな流れの中で、もう一度生まれ変わる。
戦後の原点だった日本国憲法は、戦後という民主主義のゆりかごの中で、もう一度新しく誕生する。
日本国憲法を葬り去ろうとしている流れと、日本国憲法を暮らしの中に生かそうとしている流れの中で、もう一度日本国憲法は新たな産声を上げる。
今度はこの憲法の精神が日本をつくる。
21世紀への巨大な贈り物。
未完の大器である憲法は、国民の歩みに寄り添って未来を照らす。

平和はわが人生とともに


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明