楽しく元気の出る会議Ⅲ

雑感

楽しく元気の出る会議の3本目。
会議で絶対にしてはならないのは、発言を無視することだ。主催者にとって都合の悪い発言やどうしても気に入らない発言が出されたとき、議会ではこういう発言を絶対に無視できない仕組みがある。議員が議案の質疑に立って、首長に対して質疑を行ったとしよう。この質疑に対して、当局は絶対に答弁に立たなければならない。答弁を避けることはできない。「この質問にはお答えできない」と答えたり「当年を差し控えさせていただきます」と答えたとしても、これらの答えは「無視」ではない。

しかし、通常の会議では、発言はいとも簡単に無視される。
たとえば、Aさんが発言したとしよう。
(「今の発言、こたえられないな」──そう思った座長は次のように発言する)

「他の人、発言はありますか」
この問いかけに対して、他の人がAさんのテーマと全く違う発言をして、さらに次の人がまた違う発言をし、最初のAさん以外の人の発言で意見交換が行われたとすれば、最初のAさんの意見はなかったかのように扱われる。

会議が終わるまで誰もAさんの発言に触れなかったら、Aさんに対する無視が実現する。こういうことが起こると会議は最悪の状態になる。多くの会議ではこういうことが多々発生している。
誰も無視に気がつかなかったとしても、発言したAさんは、自分が無視されたことを鮮烈に覚えている。次の会議の中でもAさんの発言を無視すると、Aさんはものすごく面白くない。ケースによっては会議に出席しなくなる。

このとき、日本人であるAさんは、会議に出席しなくなった理由をストレートには答えない。会議で発言を無視されることが繰り返されると、出席しても発言をしなくなる。胸の中にはかなり深刻なわだかまりができる。

議会が議員の発言を無視できないようになっているのを念頭に置いて、質問や提案には必ず何らかの返事もしくは、集団での討議が必要になる。主催者は、会議の参加者の発言を無視してはならないということを鉄則にすべきだろう。この原則を守るだけで会議はかなり改善される。

ところで、大きな会議になると発言が繰り返し行われ、意見交換などがなくなることも多い。大人数の会議になると集団による討議を組織するのが難しくなる。したがって、自己の主張や経験を述べる発言という形になる。かみ合っている議論が行われたとしても、双方、用意した原稿を読み上げるというような形になる。

大人数の中での双方向の議論、出席者同士の議論というのはなかなか難しい。少人数のパネラーがみんなが見ている前で討論し、ギャラリーがそれを見ているという形式もある。この形式では、ギャラリーによる発言や質問が行われパネラーとのキャッチボールが行われることもある。
参加者が双方向で議論できる人数には、おそらく分岐点があるのではないだろうか。50人ぐらいになると、参加者同士の双方向の議論はなかなか難しい。

それでも工夫はできる。発言者に対して質問して、回答をもらうという形を導入するだけで双方向感が生まれる。議会のように質疑が会場と主催者の間で行われる会議になれば、100人でも200人でも会議は成立する。
人間が一番活性化するのは10数人までの会議だろう。聞きっぱなしにならず、みんなが会議に参加して意見を述べるという形を取るのであれば20人は多すぎるのではないだろうか。そういう点で言えば、学校の1クラスは15人程度がいい。日本の40人学級や30人学級は、集団で認識を深めるには、多すぎるのではないだろうか。

主催者がみんなの意見を聞いて、意見をまとめるというのは、おおいなる勘違いだ。集団の会議には、リーダーシップを発揮する意見のまとめ役がいると思っている人は多いし、意見が百出したら意見がまとまらないと思っている人も多いだろう。実は、意見をまとめるのは、会議のリーダーではない。司会者でもない。主催者でもない。
みんなの意見をまとめるのは、参加者自身だ。参加者の発言がバラバラになったときに、主催者が口にするのは、「こんな意見とこんな意見が出て、意見はバラバラです。みんなで意見をまとめて下さい」
ということだ。ぼくは、この発言ができるようになるまでかなり時間がかかった。こういう発言をするためには、意見が百出しても、話し合えば意見はまとまるという確信が必要になる。もちろん、その日の会議で意見がまとまらないことはある。それはそれで仕方がない。意見が対立してまとまらないというのが、そのときの到達点だ。こういう状況なのに、むりにリーダーが「こうしよう」と言って方向性を打ち出すと、何らかの形でかなり深い溝ができる。

意見がまとまらないのは、まとまらないだけの理由がある。その理由をきちんと見定めて、もう一度会議を開こうという態度を取るのが民主的な方法だ。「次回までにこの点やこの点を考えましょう」と言えばいい。次の会議では違った議論になる。

「意見は一致していません。みんなでまとめて下さい」
最近はこういう発言を自然な形で言えるようになった。自然な形でこう発言すると意見の調整が始まる。合意形成を目的とした会議では、みんなで調整を図ろうとするのだ。集団の力は大きいし、人間は信頼できるということだ。

参加者の意欲が高まると、参加者の中から知恵や提案が出てくる。参加者の意見が採用されて全体の方針や意思になると、会議参加者は嬉しくなる。自分の発言がみんなに認められ、それでみんなが動くようになると、発言した人は誇らしい気持ちになる。こういう傾向が強まってくると、その集団の議論はかなり活発になる。自分の意見がみんなの中で認められ、受け入れられると会議は、楽しく元気の出る会議になる。発言した人にとって、その会議は参加したくなる会議になると思われる。

会議が人間を活性させ、参加者が嬉しくなるのは、組織の中に自分が受け入れられ尊重されるからだ。一人一人の意見が大切にされ、生かされる会議こそが、楽しく元気の出る会議だろう。


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雑感

Posted by 東芝 弘明