笠田中学校の卒業式 2005年3月9日(水)

かつらぎ・発見伝

今日は暖かい一日でした。笠田中学校の卒業式に来賓の一人として参加しました。この中学校の卒業式には、「波の環」という育友会(=PTA:和歌山県や奈良県、岐阜県などで使われている呼び名)誌が配布されます。これを読むのも一つの楽しみです。いろいろな保護者の方々のエッセイが書かれていて、中には心洗われる文章があります。今回は、以前近所に住んでいたTさんの野球部で息子が頑張った思い出を綴った文章が心に残りました。
卒業生の人数は94人。1975年、今からちょうど30年前の卒業生だった私たちの同級生は180人でした。30年間で生徒数は半減しました。かつらぎ町では、合計特殊出生率が減少して起こっている少子化と、社会減による人口流出を主な要因とする過疎化が、同時に進行しています。わが家の娘が中学校に上がるころには、生徒数が200人程度に減少すると予想されます。500数十人を受け入れることができた学校ががらがらになってしまう事態がすぐ目の前にやってきています。
卒業式は、開式宣言の後、国歌を斉唱します。笠田中学校の卒業式の場合は、前奏があって「君が代」を歌い始めるので、正式な国歌ではありません。
この点でいえば、出初め式は、念が入っています。かつらぎ町の出初め式では、あらかじめ場内アナウンスがおこなわれます。
「国歌は前奏なしに始めます。よろしくお願いいたします」
誰が出初め式を取り仕切っているのかは不明ですが、国歌の扱いを厳密におこなっていることにはある種、感心します。
「君が代」を国歌にするときに、歌詞カードと譜面を法律に謳い込むという愚挙を政府はおこないました。したがって、正式な国歌は、伴奏なしでおこなうものとなりました。
音楽的には、「さざれ石の」というか所を歌うのは、ものすごく難しいそうで、きちんと譜面通り歌える人はそんなにいないらしい。譜面まで法律化してしまったので、音程を外すことも許されず、難しいか所もきちんと歌えないと「国歌ではない」という全くばかげたことになりました。
何年か前に忌野清志郎が国歌をアレンジして歌いレコーディングしようとして圧力がかかるという事件がありました。アレンジすることが許されない理由も、譜面を法律に謳い込んだところに真の原因があるように思います。
さて、「君が代」が歌い始められると、私は着席することにしています。教育界では、ものすごい圧力で強制力を持って「君が代」を取り扱っています。和歌山県は東京都のように表面化はしていませんが、国歌をまともに扱わなかったり、先生が座ったりすると、東京都と同じような処分がまっている県だと思っています。
憲法第23条には、「学問の自由は、これを保障する」と書かれています。私が「君が代」に対してかたくなに座り続けているのは、この憲法23条を守りたいからです。
「君が代」を歌うのは自由です。しかし、「君が代」のもっている歴史を小学校でも、中学校でも、高校でも自由に教えることは、学問の自由に属することです。歴史の事実を見れば、戦争中に「君が代」がどう扱われてきたかがわかります。
この歌は、万葉集に由来するものですが、明治憲法の体制下では、天皇を称える歌として扱われてきました。この歴史は変えることのできないものです。
天皇陛下の軍隊であった日本軍は、中国、朝鮮、東南アジアに日本の社会体制を押しつけ、天皇絶対をもちこみました。「君が代」と「日の丸」は、侵略のシンボルでした。
子どもたちは自主的に判断する自由を与えられるべきです。「君が代」の歴史を自由に学び、この歌に対する態度を自由に選択できるようにしないと、学問の自由は死んでしまいます。
東京都では、君が代の歴史を教えた先生は、教育委員会によって、指導上問題があったという判断を下され、立たなかったことと合わせて処分されました。
これはもう教育ではありません。
立たない時間はわずか1分程度。来賓で立っていないのは自分だけという状況ですが、再び戦争をする国にしないために、この長く感じる1分をかみしめています。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

かつらぎ・発見伝

Posted by 東芝 弘明