時代が求めるリーダーとは何か

雑感

議会だよりの最終校正を副委員長の小林議員団と事務局の2人で行って、いよいよこの2年間の任期の最後の編集も終了した。
議会だよりの会議の運営は、ぼくの会議の運営研究の大きな場の一つだった。個性豊かな議員の方々と一緒に編集を行って、みんなの力を発揮してもらうという点で、議会だよりは自分にとって、最高の舞台の一つだった。この場所での会議運営の努力は、他の場所での会議運営の努力と地つながりだった。

会議の運営では、民主主義が貫かれているかどうかが問われる。一人一人の個人の尊厳を尊重しながら会議が運営されることが求められる。参加者一人一人が個性をもった人間で、一人一人が力をもっている。個性と力をどのようにして発揮していくのか。その人のもつ力をどう引き出していくのか。これが問われる。リーダーは必要ないと考えている。みんなを引っ張っていくという考え方は採用しない。

完璧なリーダーがいて、みんなをまとめて目的を実現するということを組織論として考えるのとは、真逆の考え方に立っている。もちろん、仕事を発展させたい、こういう方向に動かしたいとは強く思っている。しかし、それは引っ張っていくのではない。個々人の力を引き出しながら、合意を形成して全体で前に向かって進んでいく。実現したいのはこういうことだ。
大きくいえば、21世期に求められる組織論は、こういう形だろう。その反面、強いリーダーを求める傾向はある。それは、今のような展望の見えない右肩下がりの時代閉塞感が蔓延している世の中で、救世主のような人が登場して、組織を引っ張っていくイメージに魅力を感じるというものだ。

しかし、ひとたび、そういうリーダーシップのある人物が身近に現れたら、そういう組織はたちまち疲弊しはじめる。どうしてか。理由はかなりはっきりしている。一人一人の自覚、一人一人の個性が目覚めはじめ、個人の尊厳が尊重され、民主主義がより一層発展する方向へと時代が動いているからだ。強いリーダーが現れて組織を動かしはじめると、この押し留めることのできない時代の流れ、歴史の要請と合わなくなる。

個人の尊厳の尊重、一人一人の人格の尊重、個人の自由の尊重という問題は、一人一人の人間の幸福追求権を、おかすことのできない永久の権利として保障するものだろう。こういう時代の中で、これを前提とした組織運営が問われはじめている。

どんな小さな会議でも、どんな小さな組織でも、どんなに大きな組織でもこの問題は避けて通れない。一番大切なのは個人の尊厳の尊重と民主主義。この中でこそ新しい組織論が成り立ってくる。時代の要請を受けたリーダーは、このテーマとの関係で歴史の前に押し出されてくる。力をもったリーダーが組織を引っ張っていくというのは、もはや幻想に過ぎない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明