ひどい議論が横行している学術会議問題
あんまり嫌な気分にはならないのだが、日本学術会議の件で吹き出している議論が、あまりにもおぞましくて嫌な気分になっている。今の政権の有り様が浮き彫りになっている感じだ。問題は至ってシンプル。105人の推薦名簿に対して、菅首相が99人を任命して6人を除外したということだ。日本学術会議は、科学者の国会と呼ばれているもので、日本の国立アカデミーという位置を占める。国のさまざまなことに対して、意見書等を提出している。学術会議は、詳細な推薦方法を確立しており、一連のプロセスを経て推薦名簿を作成し、内閣総理大臣が任命することになっている。総理大臣の任命は形式的なもので、推薦された会員が全員任命されることになってきた。ここに原則がある。これは戦後の歴史の中で確立してきたものだ。科学者の活動に対して、国家予算で保障はするが、活動に対して政治は介入しないことを守ってきて現在に至っている。
この問題について、菅首相は6人を除外して任命しなかった。これが学問の自由を侵す問題として大問題になり、憲法と日本学術会議法違反が指摘されている。
したがって菅首相は、任命を拒否したことに対し説明しなければならない。
では、現時点でどう説明したのか。
菅首相は、「総合的、俯瞰的に判断した」と言っていたのに、105人の名簿は「見ていない」。自分が見たのは99人の名簿だったと言うに至った。105人の推薦名簿を見ていないのに、「総合的、俯瞰的に判断した」とは言えない。疑問がますます深まる事態になっている。
これ以外の学術会議問題は、事実を歪めまくって行われている。学術会議のあり方を考えるべきだとか、行政改革が必要だとか、廃止してしまえという議論は、圧倒的に事実を踏まえないレベルでの議論になっている。仕掛け人は菅総理自身でもあり、甘利さんという自由民主党税制調査会長によるフェイク発言まで出ている。
フェイクが横行する議論を追いかけるのも馬鹿らしい。国立アカデミーを廃止していいのかどうかという問題にまで発展しているのにはあきれてしまう。安倍さんの時以上に菅政権というのは、事実を歪めた議論を平気でするのか。という疑問が湧いている。
東京新聞が、10月10日付けでまともな記事を書いていた。議論をするのであれば、こういう記事を踏まえたものにしてほしい。
東京新聞10月10日 学術会議の実態は?固定給、年金なし…自腹出張も
東芝さん、もう既にご存知かもしれませんが東大・ICU名誉教授の村上陽一郎氏が日本学術会議について、以下のように述べられています。
「日本学術会議はもともとは、戦後、総理府の管轄で発足しましたが、戦後という状況下で総理府の管轄力は弱く、七期も連続して務めたF氏を中心に、ある政党に完全に支配された状態が続きました。特に、1956年に日本学士院を分離して、文部省に鞍替えさせた後は、あたかも学者の自主団体であるかの如く、選挙運動などにおいても、完全に政党に牛耳られる事態が続きました。」
ここでいう「F氏」は福島要一という人で共産党員であるとの事です。
ソースは、日本共産党の機関紙の「前衛」1968年11月号掲載
つまり、東大・ICU名誉教授の村上陽一郎氏は「日本学術会議は、共産党員である福島要一氏が中心となり共産党に支配されていたと」証言されています。
「学問の自由を守れ!」
顛末がコレだとは・・・・空いた口がなかなか塞がりません。
その情報は裏をとったほうがいいかと思います。
1.東大・ICU名誉教授の村上陽一郎氏が日本学術会議について述べた。
2.7期学術会議に選任さらたF氏は、福島要一である。
3.福島要一は党員登録された共産党員であると「前衛」1968年11月号掲載されている。
これ以上、何の裏が必要ですか?
学術会議を守る理由は言論の自由では無く共産党の党利であるのでは?
学術会議の件を最初に言い出したのは赤旗なので、状況的にはワタナベさんが正しいことを示唆しています。
そもそも、学術会議は必要ない。・・・首相は確信犯的に餌をまいて、バカが釣れたというのが現状です。
行政改革の第一候補・・学術会議。
ぼくは、トリノさんとは真逆の考え方です。今回の事件は、首相が法律を踏み破って任命しなかったことに全ての問題があります。首相は、日本学術会議法に明確に違反しています。問われているのはこの問題です。この問題に対して首相は全く説明していません。これは民主主義の危機ですね。首相は、法律を無視してはいけない。
なんで日本学術会議に、そんなに必死なのですか?どうでもいい組織なのに・・・笑。
人文系の学者に、ゴミ・カスの学者が多いですよ。・・・・特にね。そのゴミ・カスとサイエンス系と一緒に会議しても意味がないと思いますよ。普通に考えてね。
日本学術会議のホームページを見てからコメントした方がいいかと思います。人文系を軽視することには同意できません。ぼくは、日本学術会議の具体的な議論内容は知りません。トリノさんも知らないと思います。知らないのに「ゴミ・カスとサイエンス系と一緒に会議しても意味がないと思います」などとは書かない方がいいかと思います。
東芝さんの書き込みをまとめると、①日本学術会議は何を論議しているかわからない。②その学術会議のメンバー選考基準についてもわからない。②当然、任命されなかった理由もわからない。・・・・何もわからないけど、いつもの通り政府のことを、訳の分からん理由を付けて批判する。
という毎回おなじみのパターンです。ただ・・・今回の場合、僕も東芝さんのように、学術会議については何もわからないのでどうでもいいことです。それより、なんでそんなに東芝さんが必死に政府批判するのか分かりません。
ただ、事実を見る者として、任命されなかった6人について調べましたが、予想通り、すべて法律や歴史、哲学系のゴミ・カスが多い学者群でした。
それとなぁ~立命館大学の教授が、この件について政府している人を記事で見たけど、東芝さんと同じようにヒットラーを例に出して批判している。
常識的に考えて、ヒットラーを例に例えるのは、特異な考えをする人たちだと感じます。その教授・・立命館大学だけど・・・やはりなぁ~と思ってしまう。
学術会議の議論は分かりませんが、その仕事ぶりは公表されているので分かります。税金を出して国立のアカデミーをつくり、必要な提言や意見を政府に出していただくのは、どの国でもやられています。これを否定する意味はないかと思います。政治は金は出すが、学術研究にもとづいた活動には口を出さない。この原則がいま踏みにじられようとしているので、この原則を守れということであり、これは学問の自由に関わる問題、日本の民主主義の根本に関わる問題だと言うことです。
櫻井よしこさんが、「学術会議は、連合国軍総司令部(GHQ)統治下の昭和24年に誕生しました。亀山直人初代会長は設立の際、GHQが「異常な関心を示した」と語っていますが、日本弱体化を目指した当時のGHQは学術会議にも憲法と同様の役割を期待したのでしょう。会議はこれに応えるように「軍事目的の科学研究は絶対に行わない」との声明を何度も出してきました。憲法も学術会議も国家・国民の足枷と化したのです。」と書いて廃止を呼びかける意見広告を出しました。
ここに一つの論調があります。この廃止論とおなじなのでしょうか。
トリノさんの議論についていつも思うんですが、自分の尺度で専門家をバッサリ削るという態度をとっています。まるで自分が神のような感じです。本当に神のように多くの研究の世界を知っていて、精通した上でバッサリ切り捨てるのなら分かりますが、その世界を知ろうともしないで、バッサリ切り捨てているのではないでしょうか。
そういう態度は、反知性主義だと思います。自分の知識だけで科学者の研究を切り捨てるのは、いただけません。
こういう論理の立て方は、極めて傲慢だと思います。理系の知識で人文系の研究を否定するほど、トリノさんは豊かなんでしょうか。自分の知らない分野に対して、努力されている人間に対する敬意を払わないことに対する違和感が拭えません。
特定の学者を名指ししている訳ではありません。個人的な経験と感想から意見を述べているだけです。人文・法学・経済等の文系の学者には、ゴミ・カスが多い。サイエンス系の理系の学者にもゴミ・カスはいますが、文系に比べてはるかに少ない。
ゆるぎない、個人的見解です。
学者の中に共産党員がいるのは、何の問題もないでしょう。一体何の問題があるというんでしょうか。学問の探究と日本共産党員というのは、当然のこととして成立します。学術会員の中には、今も共産党員がいるかどうかは知りませんが、いる可能性はありますし、今回の任命から外されていない可能性もあります。具体的事実は知りません。共産党員が学術会員の中にいることの何が問題なのでしょうか。意味が分かりません。
つまり、学者の中に公明党員、自民党員、維新の会員がいても問題ないということを認めたことにもなる。
問題ないんじゃないですか。政治的自由が与えられているのが、特別職の国家公務員ですから。
会議のメンバーに共産党員がいることは何も問題はありません。
しかし、東大・ICU名誉教授の村上陽一郎氏が証言する「学術会議は共産党員である福島要一氏が中心となり共産党に支配されていたと」いうのは大問題です。
そのこと自体が「学問の自由を」奪うことになると思います。
>「学術会議は共産党員である福島要一氏が中心となり共産党に支配されていたと」というのは、事実かどうかわかりませんが、そもそも、学術会議に任命される基準が、存在しないのが問題。
選ばれなかった6人の専門は、キリスト教学、政治思想史、行政法、憲法学、日本近現代史、刑事法・・・まさに文系のゴミ・カス軍が一番集まるジャンルの学者たちです。
法律とか歴史・哲学関係は・・・・救いようがない。何言ってるかわからんものねぇ~・・・この手の専門の学者はねぇ~
学術会員の選考基準は明確です。その仕組みについては、元会長さんが具体的に語っていますし、きちんと調べればネット上でも分かります。基準が存在しないというのは、一体どこから得た情報でしょうか。その情報源は間違っていると思います。菅首相だとするなら、菅さんは、あえて事実を不正確に述べています。首相の言葉を出発に意見を述べるのは間違っています。
首相の言説をまともに受け取れない、ファクトチェックが必要。日本はそういう国になっています。
トリノさんの不理解を基礎に任命されなかった6人の方々を切って捨てる(といってもトリノさんの言い分は、届かないと思いますが)のは全く間違っていると思います。
【ファクトチェック】
日本学術会議、否認された6名を、標準的学術評価ツールで確認
ノーベル賞候補・・・・30~40ポイント
優秀な学者・・・・・・20ポイント
落合陽一(若手の学者)12ポイント
否決された6人中
加藤陽子・・・・・・・2ポイント
その他5名・・・・・・0ポイント
選考基準???????
ファクトチェック!!!
選考方法は書いていますが、僕が言っているのは選考基準ですよ。例えば、学術論文10本以上とか、学会発表回数とか、学会表彰回数とかです。東芝さん、選考方法なんか無意味。その学者としての普遍的な功績何なのか?という基準です。
学校の学級委員を選ぶのと違うのですよ。推薦されて選ばれるのなら、その基準を示してほしいのです。
ゴミ・カス学者は、ほとんど学会で発表しないし、論文書かない。その論文も書かず何もしない学者は文系に多いのですよ。
学者で論文書かないのじゃあ・・・何もやっていないのと同じです。ゴミ・カスです。
で・・・学術会員の選考基準は何ですか?まさか・・・まさかとは思うけど、推薦されただけなんてことないでしょうねぇ~・・・・
トリノさん
私が書いた標準的学術評価ツールとは、論文の本数と引用された回数をポイント数で評価したものだそうです。つまり「世の役に立つ論文を書いた人」を評価するツールで否認された6人中5人の人が0ポイントと言う事はどうなんでしょうか。そんな人が推薦される事に何か作為的なものを感じてしまうのは普通の感覚だと思います。
そもそも学術会議の学者が、「私たちが推薦した学者が任命されないのは法律違反だ」なんて言うもがおかしい。
任命されなかった人の業績を称えて、「どうしてこんな素晴らしい業績がある学者が任命されないのか?」・・と言うなら筋が通るけど。
それと今回の任命問題は、学問の自由とは全く関係ありません。単なる人事の件です。文句のある人は、その任命されなかった人の「学者としてのすばらしさ」を示して反論すべきです。
それとワタナベさん、そのツール。発表された論文の引用回数。引用されると論文となると相当優秀な論文ですよ。多分、文系の学者の場合、そのレベルはが極少数だと思いますよ。そもそも論文発表しないゴミ・カス教授は山ほどあり、ごく少数の論文発表者・・・その中のわずかな論文だけが引用となります。
で????東芝さん、高校野球の選抜でも選考基準に満たない高校は、選考対象にもなりません。「学術会議の選考対象者」の基準は何でしょうか?どこに記載されているのでしょうか?
トリノさんのような批判をしたいのであれば、日本学術会議法を読んでからにすべきです。志位さんの昨日の代表質問は、法律に反していることを明確に指摘しています。法律違反の問題が分からないのであれば、志位質問をお読み下さい。そうすれば論点が分かります。
「そもそも論文発表しないゴミ・カス教授は山ほどあり」という意見や「ゴミ・カス学者は、ほとんど学会で発表しないし、論文書かない。その論文も書かず何もしない学者は文系に多いのですよ。学者で論文書かないのじゃあ・・・何もやっていないのと同じです。ゴミ・カスです。」「ただ、事実を見る者として、任命されなかった6人について調べましたが、予想通り、すべて法律や歴史、哲学系のゴミ・カスが多い学者群でした」というのは、具体的に6人に対して述べられたものでしょうか。
ワタナベさんの「日本学術会議、否認された6名を、標準的学術評価ツールで確認ノーベル賞候補・・・・30~40ポイント優秀な学者・・・・・・20ポイント落合陽一(若手の学者)12ポイント否決された6人中加藤陽子・・・・・・・2ポイントその他5名・・・・・・0ポイント選考基準???????ファクトチェック!!!」という発言に責任を持てるものでしょうか。
仁坂知事は、11月の広報紙「県民の友」で、ネット社会における匿名性の問題に触れ、「名を名乗ることによって、いい加減なことは言えないとか、自分もまた反撃されるかも知れないといった緊張感が高まるし、正々堂々とふるまう礼儀も、さらにそこから他を思いやる心も育つでしょう。名を名乗れ」と書いています。匿名のままで結構ですが、名前を公表しているのと同じ前提で自分の書いていることや発言に対しては責任を持っていただきたいと思います。
ワタナベさんの論文のことに関する言説は、6人の人に対する評価に関わるもので、発言力のある人であれば、6人の名誉に深く関わるものです。したがってその真意が真正面から問われます。もちろん、こういう評価を世に出して、批判している人が真っ先に真偽を問われることになると思いますが、それに同調して拡散する人にも同じ責任が問われます。このことに関わって、「ゴミ・カス」発言をされているトリノさんにお聞きしたいのは、その発言が6人を具体的にさしているのかどうかです。あなた方が、名前も顔も公表して、ここで書かれていることを堂々と主張できるのかどうか。名誉毀損が問われたらそれに対して責任を負うことができるのか。問いたいのはそういうことです。
仁坂知事は、「それが今日、どうも自らの正体を秘して、相手を攻撃することが横行しているように思います。特にネットの世界では、ハンドルネームが自由自在ですから、この傾向が強いように思います」「さらに自分の名を隠した人が、その真偽も確かめず、そうだそうだと同調して投稿することです」とも書いて、「名を名乗れ」と主張しています。ぼくはこの意見に賛同します。ハンドルネームを使いたいのであれば、名前を名乗ったものと同じように責任をもって書くべきだということです。
氏名を公表して、ここに書いていることを公にして、批判に耐えることができるのかどうか。ワタナベさんの言説を6人に対して公表して、反論が出てきても持ちこたえることができるかどうか。「ゴミ・カス」発言が6人に対してなされているのであれば、それは6人の前で発言して、名誉毀損にならないかどうか。
どう考えても任命拒否された6人を目の前において「ゴミ・カス」発言は、できません。「ゴミ・カス」発言をしながら相手を批判するのは、名誉毀損に当たると思います。議会で言えば、発言の取り消しを求められ、それでも発言を続けたら懲罰にかけられ、責任がとらされます。
無責任がネット上の言説が、問題になっていることは、お二人もご存じだと思います。Twitterの仕様が変わり、リツイートについて、内容を理解した上で責任をもってリツイートしないと名誉毀損になるので、どうぞ責任を持って書き込んで下さいということと、リツイートするのであれば、できれば自分のコメントも添えて、責任を負って下さいという形に変わりました。2人の学術会議に対する発言は、無責任ではないかと感じるのですが、いかがでしょうか。
日本学術会議の任命拒否問題に対して、多くの科学者は、それぞれの団体から声明を出しています。事態を非常に重くとらえています。以下、一例を紹介します。日本科学史学会の声明です。こういう声明をきちんと読んで批判すべきは批判するという態度をおとりいただきたいと思います。
政府による学術会議会員候補の任命拒否 の 撤回をもとめる
日本科学史学会 会長 木本忠昭 2020 年 10 月 11 日
日本学術会議第 25 期の発足に当たって政府は日本学術会議が選出した会員候補 のうち6人の任命を拒否した。日本学術会議法に則って科学者の識見にもとづいて選出した候補を政治的立場から拒否する今回の措置は、法や日本国憲法第 23 条に規定された学問の自由を蹂躙する行為であり、到底容認できないものである。直ちに6人を任命するよう求める。
日本学術会議は、 戦前の学術研究会議、帝国学士院、日本学術振興会を再編して1949年に内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立された 。
その設立根拠を示す日本学術会議法 前文には、科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とすることが謳われている。
これは、 敗戦の荒廃から平和国家の再建という課題を前にした科学者達が、1930 年代の天皇機関説事件 や滝川事件のような戦前の軍事国家権力による 言論の自由や学問の弾圧、あるいは毒ガスや生物兵器の開発、人体実験、 殺人光線や原爆の研究、国民総武装兵器の開発研究等々、 軍が大学に出入りし強引に科学者を軍事目的の研究に動員して非人道的な研究に向かわせた戦前の 体制、戦争への 協力を強く反省したことに 基づくものであった。 そして 、 この平和と人類社会の福祉に貢献するという前文の理念は 、1950 年と 67 年の軍事目的のための科学研究を行わない 声明にまとめられた。 2017 年には、防衛省が 15 年に安全保障技術研究推進制度を導入したのに対して、これらの声明を継承することが表明された 。
他方 、 その設立目的である科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映することについては、 京大基礎物理学研究所など多くの研究所やセンターの設立を提言し、共同利用研究体制の基礎をつくってきたほか、 基礎研究の充実や総合性、多様性の確保への努力や科学技術基本計画に向けての提言を重ねてきた 。わが国の原子力研究における国の基本姿勢となった民主・自主・公開の 3 原則の提言は、戦前の学術体制を反省し、国民生活に科学の成果を反映させる という 基本姿勢に由来するものであった。
国際的にも、国を代表する機関として 国際科学会議( ICSU 。2017 年、国際社会科学評議会 ISSC と統合し 、国際学術会議 ISC 。)をはじめ、多くの科学分野での国外科学組織に 加盟、世界の学界と提携して、わが国の科学研究の向上を図るなど、 わが国における科学・技術のあり方や振興において大きな貢献をしてきた。
行政的指揮機構からの独立性は、 歴史の反省と、科学と社会との当然の関係から、設立 当初から謳われてきたものであるが、 提言の中には、時として政府施策に批判的なこともあったことは自然でもあった。これに対し 、政府は、 批判的な意見や姿勢への不満を積もらせ、1983 年には日本学術会議法を一部改正するなどで学術会議の力を削ぎ 、他方では 内閣総理大臣の諮問機関として 科学技術会議を設置して科学技術政策に関する諮問機関の役割を果たさせるようにした。2004年の法改正は、学者の総意を結集する「学者の国会」的性格をさらに 変質させたが、 それでも独立性の保持により科学者間のコミュニケーションを深め、科学発展と成果の利用に必要な客観性、批判性と総合性に立った活動を展開、 2008年以降300 以上の、多くの提言をしてきた。
科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映(法2条)するという、日本学術会議の社会的機能をさらに強化するためには、その独立性を高め、また民主的なコミュニケーション力を強める必要があろう。科学研究の進展状況と方法は多様であり、思考の自由と柔軟性、言論・思想の自由、科学者間の民主主義的な討論が特段にもとめられるからである。
未知の問題に立ち向かう科学研究や科学的措置に関しては様々な意見があり、科学的成果に関する評価も様々であり得る。そのうちの一部を時の政権が恣意的に排除するならば、多様な意見を交えることによって現行社会のもつ科学的能力の最善を発揮し、必要な結論に到達するという科学的プロセスをねじ曲げてしまうことになる。科学的成果の国民的福祉への貢献方法や可能性についても多様であり、科学的立場からの総合的な判断がもとめられるが、ここにおいても、また科学の成果公開や、言論や研究姿勢の自由と独立的判断、学問内容の独立、そして民主主義的な協力体制が強くもとめられている。
新型コロナウイルスの研究やウイルス対策にも未知の問題にあふれているが、政権の利害に合わないからといって政治的判断基準を導入して、一部の科学者を排除するならば、彼ら科学者に求められている中立的な科学的究明活動は阻害され、結局は国民の期待に添えないことになりかねない。政治的利害あるいは行政的立場からの判断基準は、科学者達の科学的判断基準と一致するとは限らないし、むしろ科学的判断を歪め、結局は科学成果の利用においても国民の利害にも反しかねない。日本原子力発電史での苦い経験、すなわち政治的経済的利害関係に巻き込まれて形成された、いわゆる「原子力ムラ」を基盤に一部の科学者の科学的知見を排除して「安全神話」を展開したが、これが、3.11福島第一原発事故としてどれほどの被害をもたらすことになったかを、そして現在まだ故郷に帰れない多くの国民がいることを忘れることはできない。
学術会議の会員の選出方法は、当初は公選制、1983年には学協会からの推薦制、そして2004年から今日のコ・オプテーション方式に変わった。その会員選考基準は、優れた研究または業績がある科学者であり、それぞれ選出方法には課題があったが、しかしいずれの場合においても行政という別次元からの人事介入は、特定の行政目的への迎合性という基準を科学に持ち込み、科学において最も大事な学問の自由、言論の自由を脅かし、それは研究の方法に影響し、科学者達の民主主義的な議論と姿勢、そして科学の自律的発展を損ない、結局は国民の利害を損ないかねない。
今回の任命拒否は、「法に基づき適正な措置」「総合的、俯瞰的」な措置(菅首相)というが、拒否理由・拒否基準は示されていない。日本学術会議法とは別の選考基準があるとすれば、それは明示されなければ説得性をもちえず、むしろ日本学術会議法に反した政治的人事介入といわざるを得ないことになる。こうした政治的人事介入は、自主的で自由な学問的活動を妨害するものであるが、拒否理由の説明がないということは、結局は歴史的に比をみない野蛮な公文書破棄まで生んだ「忖度」政治を科学界にまで持ち込もうとする狙いを疑わせざるをえない。科学研究は未知への挑戦であるが、それは同時に科学者自らを含めての学問的社会的権威への挑戦でもある。学問の自由が抑圧され、「忖度」が蔓延するならば、社会的・学問的権力・権威に立ち向かい、未知を切り開く科学界における民主主義的で自由闊達な議論と進取の気風は阻害されかねない。そうなれば、長期的に見ても、未知に立ち向かう科学者の力を削ぎ、社会の「科学的能力」を損なうことに繋がり、国民の利益追求の力をも弱めかねない。
今回の政府による措置はひとり日本学術会議にのみならずひろく科学界、国民生活にも害をもたらすものとして強く憂慮するもので、早急に任命拒否を撤回し、6人の任命をもとめるものである。
なお、10月9日、菅首相は、日本学術会議が提出した105人の推薦リストは見ていない、見たのは(すでに6人が除外された)99人のリストである、と説明した。事実であるならば、「総合的、俯瞰的」判断をしたと言うこと自体が疑われ、公文書改竄の疑義さえ出てくる。日本学術会議会長の推薦文書提出から99人の任命決裁までのプロセスと、6人の拒否理由の正確な説明がもとめられる。
>ワタナベさんの論文のことに関する言説は、6人の人に対する評価に関わるもので・・・・・・標準的学術評価ツールで確認したら0ポイントでした。
なぜ、もっと優秀な人がいるのにこの人たちが選ばれるのだろう?
と思うのは自然であり税金が支払われている以上、国民が疑問や批判をするのは当然でそれを否定することこそ言論の自由を侵害している上に国民は監視する権利があります。
いつも東芝さんが言っている事がブーメランとして刺さりますよ。
併せて言うと、総理に説明責任を求めるなら、なぜこのような人を選んだかの説明は必要無いのですか?もっと、若く知見の高い人よりこの6人を選んだ明確な理由が聞きたいですね。
日本学術会議は、選考方法を公表しています。説明していないのは総理です。それは自明のことなのでは。日本科学史学会の声明については、どのような感想をお持ちになりますか。
学術会議の選考の仕方については、踏まえられていますか。
ワタナベさんが根拠にしているのは、Twitterのこの書き込みですよね。
6人の学者について標準学術評価ツール;スコーパスで調べてみた驚愕の事実。計測可能だったのはKYさんだけしかも、H-index 2、あとの人みんなゼロ。国際的にはとても学者とは言えない数値。総理はこれを調べてこれらの人はじいたのでは?彼らは科学者ではないしもともと国際学者とは言えない。
この書き込みは、現在削除されていると毎日新聞が10月10日付けの記事で報道しています。削除は、この標準学術評価ツール:スコーパスは、英語の論文が中心なので、日本の人文系の学者の評価には適さないという指摘を受けて行われました。書いた本人が誤りを認めた形だと思われます。
根拠のない言説による誹謗中傷ではないでしょうか。
>ワタナベさんが根拠にしているのは、Twitterのこの書き込みですよね。
違います。上念司氏です。
>毎日新聞が10月10日付けの記事で報道しています。
ゴシップ紙の何を信じろというのですか?
その・・・学術会議の選考基準はなにか?問い合わせているのですが・・・なんでツイッターのはなしになるのでしょうか???
ツイッターの件なんかよく知らないしどうでもいいのよ。学者の選考基準があるのか?それともないのか?ということ。
論点がズレまくり。それと文系にゴミ・カスの学者が多い書きこみましたが、任命されなかった人が、ゴミ・カスとは書きこんでいない。論文を書かない学者は、ゴミ・カスだと一般論を書き込んだだけ。
東芝さんが、選考基準知らないならそれでいいのよ。知らないと答えてくれたらそれで・・・。なんでツイッターよ・・・・なんで学術会議の意義よ・・・。