遺言状と葬儀 2005年6月22日(水)

雑感

朝、遺言状をどう書いたらいいのかという相談があった。最近は、まずインターネットで基本的なことを調べることにしている。調べると、自分で書く方法や公証役場に依頼する方法が詳しく書いてあった。
遺言状を書く人は増えているという。自分が生きた証になるし、遺産についての考え方を示すことにもなる。
お昼過ぎに調べた内容をもって相談者の方の自宅を訪問した。

自宅におじゃまして、色々な話を聞かせていただいた。その中でお墓も作ってあげたいという話が出され、「墓は一人の人間として生きてきた証になる」と語られた。
いい話だなと思いつつ、「しんぶん赤旗」の「葬儀考」という連載のことが思い出された。
小さい時に父親が亡くなり、高校時代に母親が亡くなったので、葬儀について漠然と考えてきたことがあった。葬儀という儀式は、肉親を失った悲しみを緩和する役割を果たしているとように思う。

若くして父や母を失った子どもたちにとって、肉親の死は大きな衝撃だろうと思う。私はそうだった。
母親を亡くしたとき、もし葬儀という儀式がなかったら、自分たちはこの悲しみに押しつぶされるのではないだろうかと思った。葬儀に集まってくる人々のなかには、そんなに故人との関係が深くなく、悲しみに心を捉えられていない人もいる。葬儀はこういう人々によっても支えられている。むしろ、こういう人がいるからこそ冷静に式が進行していくのだ。悲しみに沈みそうになりながら、「しっかりしないとね」という思いによって、自分を励ます人も多いに違いない。

これは、肉親の死に対する第一撃を緩和する役割を果たしている。亡くなった直後から通夜の段取り、葬儀の段取りをおこない、骨登りまで一連の流れの中に家族は身を置かなければならない。母親の葬儀の時に、葬儀があったからこそ、衝撃を和らげてもらったという思いは、変わることなく胸の中にある。
母が亡くなって1か月ぐらいが経ったある朝、母の夢を見たことをきっかけに衝撃が胸にこみ上げてきた。それは、1か月という時間の経過の中にとけていた、死に対する第一撃がやってきたような感じだった。この衝撃は、いろいろなことを考えさせてくれる出発でもあった。今から思うとこの衝撃は、前に進む力をもっていたのかも知れない。

葬儀は、死んだ方のものであるとも思うが、残された家族のためにも存在するとも思う。肉親の死は、次第に過去のものになっていくが、消え去るものではない。
いろいろな経過があって、家には母親と父親の仏壇がある。ごはんとお茶をそなえる時は、いつも線香を立て、少しだけ手を合わせる。
私たちは、宗教という形を通して死者に思いをはせる。この方法があるからこそ、死者に向き合い対話ができるような気もする。
思いを形にする。

ご飯とお茶を供え線香とロウソクに灯をともすとき、母や父と向き合っている感じがする。それは、自己満足なのかも知れないが、こういう形をとって向き合うことには意味がある。娘はいっしょによく仏壇に手を合わせてくれる。まったく見たことも話をしたこともない私の父と母に、娘を会わせているような感じがある。

昨日、歯のコンクールに行ってもらってきた娘の賞状が仏壇に供えられていた。
「おかあさん、よくがんばったんだよ」
母と父の笑顔が鮮やかに浮かんできた。


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雑感

Posted by 東芝 弘明