瓶の中に日記を入れて

作家・宮本百合子が日記を書くことは人生を二度生きることだと書いていた記憶がある。原本を探し当てようとしてネットを検索してみたが、元の文章を探すことはできなかった。
その中で──。『カール・マルクスとその夫人』を再読した。作家の文章は読む人に何らかの刺激を与え「夢」を見させてくれる。二〇代のころ読んだことのある短い評伝だった。宮本百合子の語りが心地よかった。
ブログで日記を書き始めたのが2005年1月7日だった。あれから16年目に入っている。「日記を書くことにしました」という表題で書き始めて、今書いている文を含めると記事数は5697個となった。最近は、夜早く寝るようにしているので昨日の分を朝書いていることが多い。「今書いているものは昨日の記事だ」という自覚を失うと、時間軸が狂ってしまう。朝の朝刊をふまえて昨日の記事を書くと未来を的確に予見したみたいなことになる。注意が散漫だったために一度だけそうなってしまったことがある。そのときは、仕方がないのでその記事は本日分にして、もう1本記事を書いた。
記事は、書き始めて1時間かかることも、それ以上になることもある。話がどう展開するかは、書き出してからのことも多い。自分で書いているのに、記事がどうなるかは書いてみないと分からないのだから不思議なものだ。
丸15年書いた時間は膨大なもので、書いた内容も多義にわたる。記事の中には自分にとっても宝物だと思うものもある。アクセスカウンターは、実際に訪れてくれた実人数と、その人がどのような記事を読んでくれたのかを集計するようになっている。たとえば6月23日の日は、155人の実人数に対して記事の閲覧は950をカウントしていた。熱心に過去の記事に遡って読んで下さった人がいたということだろう。今年の1日の最高は5700人台だった。そういうときは何が作用しているのかはよく分からない。
個人のローカルな話題について書いているときは、そんなにアクセスは伸びない。一日120人程度だ。全国的な話題について記事を書いたときにアクセスは飛躍的に伸びたりする。前回の大阪都構想の住民投票に対して書いた記事は、連日3万人を超えた。ときどきこういうブレイクが起こる。何がブレイクするか。書いている本人には分からない。
ブログは一時ブームになったけれど、FacebookやInstagramにその座を譲り渡している。しかし、日記を丁寧に書いて発信するというブログは、他のものには替えがたい。誰に向かって書いているのかは、自分でもよく分からない。自分の考え方を深めるために書いていたり、出来事を目に見えるように書く努力をひたすらしていたりする。
ブログを毎日書くという行為をはじめなかったら、15年もずっと日記を書くことにはならなかった。ときどき、遠い彼方から電話がかかってきたり、FAXが届いたりする。自分の書いた日記が誰かの琴線に触れて連絡が生まれる。一期一会の出会い。顔も知らない人とのやりとり。
ブログは、ガラス瓶に入れた手紙のように海の波間をさまよって誰かに届くようだ。星が降り注ぐような砂浜で月の光に照らされた瓶の中にぼくの記事がある。誰かに拾ってもらえると心と心がつながって1回きりの糸電話になる。



