県教育委員会が求める意見に対して文書を送った

雑感

県教育委員会が、高校再編について意見を求めているので、書いてみることにした。 

募集委の内容は次のようなものだった。
「これまで、説明会や懇談会等に出席された方から、ご意見等を伺ってまいりましたが、どのような高校や高校教育を求めておられるかについて、広く県民の皆様からご意見やご要望をお寄せいただきたいと思います」
こういう文書の後に〆切りの記述が書かれ、さらに意見を寄せてもらいたいとする項目として次のように書かれている。

ご意見を伺いたい項目
(1)各地域に必要なスタンダードな高校の在り方
 ① そのような高校には、どのような教育や機能が求められますか?
 ② 上記①を実現するためには、どの程度の生徒数・教員数等が必要ですか?
 ③ 通学に要する時間は、どれくらいが適当かつ現実的ですか?
(2)専門教育や特色ある教育を行う高校の在り方
 ① どのような教育が期待されますか?
 ② 上記①を実現するためには、どのような学科や機能等が必要ですか?
 ③ 将来、そのような高校を、県内のどの地域に、幾つくらい整備することが妥当ですか?

期日は4月30日。ぼくが送信したのは、4月28日の午後7時22分。〆切りには間に合っている。

和歌山県教育委員会は、おそらく世間の感覚とずれた世界で機能している機関だろう。このような設問は、県教育委員会のもつ情報や学校の在り方をふまえたもの、かつその方向に沿ったものでなければかみ合わないだろう。このような設問は、「広く県民の皆様からご意見やご要望をお寄せいただきたい」という前提とは合わない。県教育委員会が求める枠内からはみ出すような、ぼくの意見などがどう扱われるのか。その辺のところにも興味がある。


以下は、ぼくが提出した意見だ。日本共産党の議員という肩書きは持っているが、以下に示すぼくの「意見」は、まったくの私見であり、日本共産党の見解というものではまったくない。

1 各地域に必要なスタンダードな高校 
(1)そのような高校には、どのような教育や機能が求められますか?
 各地域に必要なスタンダードな高校というものが、何を意味しているのかがまずは不明です。今の高校教育の抱えている課題を解決するための答えが、「スタンダードな高校」や「専門教育」や「特色ある教育」をつくるところにあるとは思えません。このような教育の設定の仕方は、上から目線で子どもたちをふるいにかけるか、鋳型にはめるようなものにならざるをえないと思います。
 各学校に特色を持たせる教育というのは、全県1区の校区設定の中では、成績によるランク分けの傾向が強まり、中学校の成績によって生徒が振り分けられるという結果を色濃く引き起こすだけだと思います。それは、今の農業高校に学校の成績の低い生徒が、本人の希望とは関係なしに集められている現実を見てもよく分かるのではないでしょうか。
 受験を競争として組織している中では、特色のある学校を、中学生が自由に「特色」という魅力によって選ぶという形にはなりません。中学校では、成績を重視して、志望校選択に強い指導が入り、本人や保護者が希望しても、志望校を受験させてもらえない現実があります。中学校の先生方は、生徒の将来を思い、高校受験に失敗しないように安全な道を必死で模索しています。その結果として現在の受験があります。
 特色のある学校をつくるよりもっと必要なのは、生徒の学ぶ意欲を引き出しながら、学ぶことの意味を実感できるような普通教育だと思います。このような教育を実現するために必要なのは、25人学級や20人学級などの少人数学級と教員の増員だと思います。国は30人学級をめざすと思いますが、思い切って25人学級を実現し、教員を思い切って増員するのが、一番いい解決方法だと思います。
 和歌山県が本気になって未来を担う青年を育てたいのであれば、県独自の少人数学級に踏み込むべきだと思います。一人一人の個性を伸ばし、一人一人の学びを組織することが、一人一人に寄り添った本当の特色ある教育だと思います。
 この改革を進めると、高校は地域に根ざしたものになり、地元の高校に進学することによって、生徒の夢を実現できるものに変わります。この中で全県一区という校区設定を廃止すべきです。県教育委員会は、どの高校に進学しても、一人一人の生徒の学力を保障できる学校づくりを目指してほしいと思います。

(2)上記(1)を実現するためには、どの程度の生徒数・教員数などが必要ですか?
 25人学級か20人学級を実現できる教員数を実現するとともに、教員以外のスタッフが数多く勤務するような学校を目指して下さい。人口減少と地域の衰退が起こっている和歌山県だからこそ、教育にお金をかけて、他の府県から見ても魅力のある教育を実現して下さい。和歌山県の特色は、少人数学級と教員の多さ、学校の多様さにあるということを目指して下さい。

(3)通学に要する時間は、どれくらいが適当かつ現実的ですか?
 列車の沿線では、30分以内で通学できるような配置を考えて下さい。山間部であっても1時間以内で通学できるような配置が望ましいと思います。

2 専門教育や特色ある教育を行う高校 
(1)どのような教育が期待されますか?
 専門教育の高校を否定はしませんが、これを本気で実現するためには、小学校や中学校における学びを大きく変える必要があると思います。テスト漬けによる児童・生徒の評価を極力少なくして、校則を最小限度のものにし、児童・生徒自身の力によって校則を変えられるよう児童・生徒の自主性と権限を強めるべきだと思います。教え込む教育から、児童・生徒が自主的に学べる、子どもの中から学ぶ力が湧き出るような教育を再組織する必要があると思います。
 子どもの権利条約の意見表明権と参加する権利を保障して、学校運営に小学校の時代から生徒を参加させ、権限を与えることが必要だと思います。
 こういうことを実現するためには、政治教育も必要です。政治は争点のある世界なので、子どもたちに政治の中にある意見の相違をきちんと伝え、考えてもらうことが大事だと思います。自分の頭で考えて、自分の頭で答えを出せるような人間の育成を実現しようと思えば、政治教育は必要不可欠です。もちろん、この政治教育は、普通教育の中で実現すべきです。
 人間は、自然と社会と文化と経済と政治の中で生活しています。この現実の環境の中で学びを組織し、自然と社会と文化と経済と政治について、自由に学べるようになれば、高校生の段階になって、専門教育を選び取れる人間が育つと思います。そういう土壌のもとで普通教育と専門教育があればいいと思います。専門教育も特色ある教育も、生徒の個性及び生徒の自主性の中から生み出されるものでないと、ほんまもんにはならないと思います。

(2)上記(1)を実現するためには、どのような学科や機能等が必要ですか?
 上記のような教育の中から生徒が学びたいものを具体化するのがいいと思います。教育は100年の計です。時間はかかりますが、生徒による希望や討論を組織して、つくられる専門教育の学校には魅力があると思います。


書いたことの基本は、少人数学級による普通教育の充実と専門校をつくるなら、子どもたちの意見を聞けということと、子どもを主権者として育てようということだ。徹底的に競争させ、徹底的に評価し、徹底的に管理するという、受験競争を組織しながらの教育は、政治や経済、地域社会から切り離された学びをつくってきた。同時にそういう教育が、子どもたちから自己肯定感を奪ってきた。評価は否定を含む。徹底的に評価することは、繰り返し人間を否定することでもある。この恐ろしさにいい加減、教育界は気づくべきではないだろうか。
本当に豊かな人間を育てたいのであれば、子どもの意見表明権と参加する権利を保障し、子どもの学習意欲を引き出せるような教育への大転換が求められる。
そういう教育が組織されるようになれば、次第に職業観や社会観も自ずから育ってくると思われる。企業における商品開発に対して、本当の意味でブレイクスルーを生み出せる人間は、政治や経済や社会に対しても、自由に自主的に物事を考える人間にならざるをえない。
子どもの時代から、自由と権利を体現できる教育が実現しないと、創造的な人間の育成はできない。受験競争の中で社会生活から隔離されたような学びについて、問い直さなければ、豊かな教育は実現しないと思っている。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明