日本の中にある大国主義的な思想と向き合って

雑感

中国は、封建制の時代、長きにわたって諸外国を支配下に置いてきた歴史がある。中国共産党は、このような歴史的な体験が、諸外国に対し、特に近隣の国々に対して表面化する体質をもっていることを、ある時期までは戒めてきた。しかし、いま、こういう傾向が台頭して、覇権主義的な態度が表に出ている。

日本はどうか。
1910年に暴力的に実現した日韓併合に至る歴史をみても、日本は朝鮮半島に対して、軍事力を行使し、かなりひどいことをしている。しかも、現在の政権も含め、日本は韓国に対して、植民地支配をした反省も、徴用工として日本に働かせに来させていたことも真正面から反省しないし、日本国内にいる韓国人と北朝鮮人に対して差別的な冷たい態度を取っている。この傾向は、国民の中にも存在する。在日朝鮮人の多くの方々は、日本人名と朝鮮人名の両方をもっているが、朝鮮人名を公表することに対するためらいを感じている方もいる。明らかに歴然とした差別がまだ、日本の中に残っているからだ。

中国の大国主義的な傾向は対岸の火事ではない。日本国内にも、克服すべきものとして存在している。韓国や北朝鮮に対して罵るような傾向をもっている人々が増えている。その根底には日本政府が朝鮮半島を植民地にしてきた歴史に対して、反省していないという問題がある。日本共産党は、『日韓の歴史をたどる』という本を出版した。140ページの本なのでそんなに分厚くない。この本を丹念に読むことをしたい。この本は徴用工の裁判問題が火を噴いて、韓国バッシングが強まる中で書かれた本だ。

襟を正して日韓の歴史の事実を学ぶ。これは、日本人の中で一つの必要なテーマだとも思っている。日清戦争も日露戦争もすべては、日本は朝鮮半島に足場を築くために行った戦争だった。
江戸時代、争いが起こったら武装蜂起して、戦いを繰り返した幕府や薩摩・長州の武士階級がつくった明治政府は、封建的な野蛮さを数多く受け継いだ国になった。野蛮な刃は、朝鮮半島や中国大陸に向けられたが、同時に戦争に反対した国内の人々にも向けられた。天皇制政府に刃向かう日本共産党員は、拷問によって殺してもかまわない。戦争に勝つためには、若者の命を積んだ飛行機に片道だけ燃料を入れて出撃させるという特攻作戦を実行した。沖縄戦で日本兵は、一緒に逃げた沖縄県民に銃を向け殺した。女性には参政権は必要ない。──これらの考え方は、日本国憲法が誕生するまで続いた。明治体制の野蛮さについては、江戸時代から受け継いだものとして再認識すべきではないだろうか。戦後76年の地点に立つぼくたちが身につけている民主主義的な感覚とは違うものを深くまとわりつかせていた時代が明治体制下の日本だった。
現在と同じ民主主義や女性観がなかった時代は、今とは違うモラルで動いていた。ぼくは、そのことをもっと深く知るべきだと思い始めている。

韓国に対する日本の歴史は、日本が民主的な国として再出発するときにも深く問われる課題になる。大国主義、覇権主義的な傾向は、日本の中にもある。襟を正して読むべき気持ちは、こういうところからも生まれてくる。
明治から終戦まで77年。終戦から今日まで76年。日本国憲法を守り抜いて日本を平和な国として発展させれば、戦後の方が長くなる。美しい国は戦後にあり。戦争から平和への大転換にこそ未来があった。保守も革新も一緒に戦争放棄と恒久平和を望んだのが戦後の原点。これを守ることは、かけがえのない命を守ることにつながっている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明