3月1日、晴れ。笠田高校卒業式

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朝、空を見上げると青い空がクッキリ、スッキリ広がっていた。雲は見あたらない。
早朝は霜が降りていた。放射冷却現象だろう。朝からかなり気温が上がり、3時の気温の記録は13度だった。
今日は笠田高校の卒業式だった。ぼくがこの高校を卒業したのは、今から29年前のことだった。
その日は、かなり肌寒い日で曇り空だった。
卒業式が終了した後、生徒たちは教室に戻って座っていた。
担任のK先生が教室に入ってきた。
先生は、みんなに最後の話をした。女性教師のK先生は、小柄な人で世界史の担当だった。
レスリング部だったKTが突然立ち上がって、
「仰げば尊しを歌います」
張りのある声でそういった。
全員起立をして歌い始めると涙がこみ上げてきた。
女生徒の多くは途中からないて歌うことができなかった。
席に着いてから、どれだけの時間が立っただろう。誰も席を立つものがいなかった。
「みんな。いつまでこうしていても帰れないから、はい、立って」
それが別れのあいさつだった。
「形式だけの卒業式に涙を流せたのは幸い」
ニヒルな感じに少し染まっていたぼくは、こんな言葉をノートに書き留めた。
体制に反発したいような、そんな感情がぼくの中にあった。
笠田高校は、ぼくたちの思い出の高校であり、建物は、当時とほとんど変わらない。
制服は、10年ほど前にブレザータイプのものに替わった。男子は学生服、女子はタイのリボンのスーツタイプ?の制服だった。
男子は、どこの高校も同じ感じだったが、女子の制服は、一目で笠田高校の生徒だということがよく分かるものだった。
笠田地域は、同級生のほとんどが笠田高校に進学した。中学校も高校もほとんども友だちが笠田中学校から笠田高校に進学していた時代だったので、ぼくたちは子どもの頃から気心の知れた、思い出を共有した間柄だった。
地域に残っている者は、親同士仲がいい。先輩後輩も若い時代を共有できる思い出をもっている。
このような地域を形成できたのは、笠田中学校生は笠田高校に進学しようという強い運動があったからだ。これは学校間格差をなくす運動であり、地元高校進学運動と呼ばれていた。
この運動の成果は、ただ単に笠田高校の質を高める運動だけにはとどまらなかった。大人になって地域に残った人間は、地域の連帯の強い絆を持つようになった。
当時、地元高校進学運動が、このような成果を生み出すところまでは自覚されていなかったと思う。しかし、当時のこの運動は、現在の笠田地域を作り出し、地域を支える核になっている。
町づくりは、10年後に実る。そんな感じがする。
人生の最も大きな宝、それは多くの友人をもつこと。
地元高校への進学運動は、高校生に対する生涯につながる大きなプレゼントだった。
笠田高校の卒業式。
天気 晴。
卒業は新しいスタートライン。
未来は、晴れた空のように青く澄んで、深く広い。


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Posted by 東芝 弘明