11時から中央委員会総会の報告を聞く

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11時から日本共産党第3回中央委員会総会のCS放送があったので視聴した。
1月4日に中央委員会が開催されたのは初めてのことだ。
今年は、いっせい地方選挙と参議院選挙がある。
新年からスタートダッシュして、日本共産党の躍進を期したい。
今日中に一般質問のまとめをおこなって、議会事務局にメールで送信しなければならない。
報告が終わり自宅に帰ってから、まとめる作業をおこなおうと思っていたが、少し時間的な余裕があったので、「男たちの大和」を観ることにした。
この映画は、声高に反戦を訴えないが、大和が特攻的な作戦で護衛艦もなしに、片道の燃料しか積まずに沖縄に向かったことが描かれ、守りたかったものを何も、誰も守れなかったことが描かれていた。観た人に戦争の悲惨さと日本の闘いの展望のなさを描いていた。
この映画を観た人は、日本の引き起こした戦争の本質的な問題は見えないけれど、戦争を繰り返してはならないという思いを抱かせるものになっている。
生き残った神尾克己(仲代達矢)は、映画のラスト近くで「なぜ自分が生き残ったのかが60年たって始めて分かった」といい、「やっと自分の中の昭和が終わった」と語る。しかし、生き残った意味については観客の受け止め方にゆだねる演出方法が取られていた。
重いテーマを映画を1度だけ観た感想で描くのには躊躇を感じる。
それでも、恐る恐る書いてみたい。
死を覚悟して大和に乗り組んだ海軍兵士の生き残りは、戦友とともに死ねなかったことに対する罪悪感のようなものをもっていた人も多かったのかも知れない。
「なぜ自分だけがおめおめと生き残ってきたのか」
神尾克己はこう思う者の1人だった。
しかし、内田守(中村獅童)は違った。死んでいった者のためにも、自分たちは生き延びなければならない。それが死んでいった者たちの無念に報いる道だ。内田はそう考えていた。内田は、戦後、戦災孤児等の子どもたちを育てるという生き方をした人として描かれていた。この行為も生き残った者としてのつとめだったのだという。
命の大切さを教えなかった戦前の教育は、10代だった神尾の心をとらえて離さず、60年も生き残ったことを悔いさせ続けた。特攻隊員の生き残りも、同じような思いをもって生きた人がいるらしい。天皇陛下のために、国家のために戦死することを最も尊いことだと教え続けた教育とは、かくも恐ろしいということなのかも知れない。
しかし、軍国主義の教育だけでなかった時代に成人した海軍兵士の中には、内田や森脇庄八(反町隆史)のように命の尊さ、大切さを自覚した人間もいた。
最近の「純情きらり」や「芋たこなんきん」を観ていても、すでに大人になっていた人々の中には、軍国主義一色に染まっていなかった人も多かったことが描かれている。人間の描き方として、共通の符号を感じる。
時代が右にカーブし、次第に自由が奪われていったときに、人々のすべてがそれに乗って狂奔したのではなく、ものが言えなくなり表現が制限されていくなかで、時代に翻弄されていったということなのかも知れない。
今はまだ自由にものが言える。分別のある人は時流に逆らうようなことを言わない。しかし、それでは時代の逆流は止まらない。太田光氏のようにメディアの渦中にあって、9条を守る主張を胸を張って言い続けることに、ぼくはエールを送りたい。
「男たちの大和」はそんなことを考えさせてくれた。


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Posted by 東芝 弘明