「中国共産党とは全く違う共産党です」

出来事

早朝配達後、眠くなったので寝てしまった。起きると7時40分だった。9時には自宅を出ないと会議に間に合わない。資料とレジメを切らないとみんなに迷惑がかかるので焦ってしまった。それでも8時40分に作業が終わったので、食器洗い機に洗い物の食器を入れ、洗濯機を回して自宅を出た。9時08分。朝の珈琲を飲んでいないので川向こうのセブンイレブンに行った。駐車場に車を停めた時刻は9時10分。大丈夫かなと思いつつ自動ドアの中に入り、「ホットコーヒーのL、一つ」と声をかけた。

ドリップ式なのでボタンを押して待つ必要がある。車に乗り込んで時計を見ると9時13分だった。
「あと17分、間に合う」
そう思って粉河に車を走らせた。新竜門橋の南詰の信号を右折して国道に出ようとすると、朝9時台の時間帯であれば必ず信号が赤になり、信号待ちをしなければならない。しかもこのタイミングで国道に出て、粉河の橋のところの信号にさしかかると、ここでもまた国道側の信号が赤になる。この時点で9時30分までにあと5分という状況だになった。今回は長田の観音さんの近くの信号に捕まった。

共産党の紀の川市委員会に着くと9時29分だった。ギリギリすぎた。余裕をもって到着するためには、9時に自宅を出発する必要がある。

午後の会議が終わったので、本家かまどやに弁当を買いに行った。沢山のお弁当の中から「明太唐揚げ弁当」を買った。ほか弁が世の中に出たときに、街の中にはいくつものほかほか弁当があり競争していた。この方式が流行るかなと思っていたら、今はコンビニ弁当に押され、ほか弁のお弁当屋さんが少なくなった。スーパーのお弁当もかなり売り場を広げている。

そういえば、ぼくが中学生や高校生のころ、お店で買えるお弁当の類いといえば「かつらぎデパート」の入り口で売店をしていたお店にあったサンドイッチぐらいだった。このお店のおばちゃんは、独身の頃も議員になってからも縁あって極近しいご近所になった人で、亡くなるまでぼくを心底応援してくれた人だった。
菓子パンは文具屋さんにもスーパーにもあったけれど、お惣菜やお弁当やお寿司は、スーパーには並んでいなかった。今の時代、お弁当はどこにでも売っている。珈琲もドリップ式コーヒーがコンビニにあるので、車の中でコーヒー豆から抽出した珈琲が飲める。資本主義的生産というのは、飽くなき利潤の追求の結果として発生する競争の中で、すさまじい勢いで商品の販売の仕方を変容させていく。ブームが去るのも早く、ヒット商品がだめになるスピードも速い。
こういう利潤の飽くなき追求による競争が、すべて善だとは思わないし、人間のためになっているとも思わない。非常に激しく変遷していく商品世界にあって、お菓子の中には息の長い商品が沢山ある。こっちの方にはどのような力が働いているのか。ちょっと興味がある。

午後2時から打田のMさんと訪問に行った。日本共産党への支持を訴えるといい返事が返ってきた。「最近の共産党はがんばっていますよね」という声を聞くと嬉しくなった。
「中国共産党とは全く違う共産党です」
Mさんは、そこを強調していた。中国共産党100周年。日本共産党は祝電を送っていない。ウイグル地区の人権弾圧、香港での民主主義の否定と弾圧を繰り返す中国に対して、祝意を表せないというのが日本共産党の取った態度。これは、祝意を送った自民党と公明党、立憲民主党とは明らかに違う態度だった。
中国は社会主義国ではない。社会主義から大きく逸脱した国、社会主義の名にはふさわしくない国こそが中国だというのが日本共産党の見解だ。

日本共産党と中国共産党の違い。共産党という名前は一緒だが、めざしているものはかなり違う。共産と言う言葉の語源は共同=コムニスということ。共同を共産と訳したのは、共同して生産するという意味だった。簡単に言うと「共」はともにという意味で「産」は産業の産を意味する。「共」も「産」もそれ自体は何の問題もない。それが共産となると、中国、ソ連、北朝鮮のイメージがついて回る。
しかし、共に生産する根底には、自由と民主主義が必要だ。中国もソ連も北朝鮮も最も欠けているのは自由と民主主義。自由と民主主義のない国は、共に生産するという基本すら実現しない。中国共産党は、共に生産するという意味をもった共産党を名乗るべきではない。


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出来事

Posted by 東芝 弘明