会葬御礼のことば

雑感

通夜が始まる時間まで30分を切っていたので、桃山まで行くと6時を過ぎるかも知れないと思いながら、車を走らせた。車はほぼ6時に到着した。セレモニーホールには人が多かった。ガードマンの案内で奥の方の駐車場に車を停めた。
ぼくが30歳になるまで一緒に事務所で働いていた地区委員長のAさんの奥さんが亡くなられた。滿78歳。セレモニーの会場には、たくさんのアルバムが並べられていた。アルバムのページを開いてみたかったので触れてみたが、後ろにも人が並んでいるので手を離した。思いが伝わってくるアルバムだった。
24歳になる少し前の1月、寒い冬の日にAさんの奥さんには、日赤病院でお会いしたことがある。当時の日赤病院は古めかしい建物だった。看護婦と呼ばれていた時代、白衣を着た当時のAさんが、ぼくにかけてくれた言葉は今も記憶の中に鮮明に残っている。
会葬御礼の2つ折りはがきには、Aさん自身が書いた文章で奥さんのことが書かれていた。人工透析をするようになってからも山登りをし、日本百名山の半分以上を踏破したことが記されていた。東日本大震災のときには、従弟の支援のために「わが家の預金の全てを差し出したのには感動しました」とあった。
亡くなることを覚悟された、つれあいの人の旅立ちを記した文章だった。大事な物を頂いたという気持ちになった。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明