10代後半の感情

雑感

Autumn Walk in the Park by Batikart

昨日書いた公務員のサービス残業について、ネットで検索すると全国的にもかなり広範囲に、予算を消化した後、サービス残業というものが存在しているような状況があった。
組合の力が弱く、ものが言えないような状態にあることも垣間見られた。
公務員のサービス残業については、徹底的に状況をつかんで問題点をえぐろうと思っている。

夏から同窓会に関わってきて気がついたことがある。
20代後半の頃、和歌山民報という新聞で「10代後半」というエッセイに10代後半の感情についての思い出を書いたことがあった。しかし、そのときは、そのような感情が母の死を起点として生まれてきたものだったことには、気づかなかった。高校時代の同級生に再会して、話をしていると10代の頃の感情がよみがえってきた。
2次会で歌ったカラオケの曲は、感傷的なものばかりだった。なぜ、こういう曲ばかり選んで歌ったのか。疑問が次第に膨らんできた。秋の季節が好きだったということも思い出されてきた。やがて、感傷的な気分が秋の気配と重なり合っていることに気がつき、好きだという感情の芯のようなものをつかまえた気持ちになった。

懐かしさが、感傷的な感情をさらに強くしたようだ。
母の死は、17歳のぼくにとって、極めて大きな出来事だった。高校2年生の秋に、兄貴の友人から「お前のお母さんの病気はもう治らない」と言われたことが、母の死を具体的に考えはじめた最初だった。この言葉は、次第に自分の胸の中で大きくなっていった。いよいよ母が亡くなるとき、ぼくにはある種の覚悟ができていたので、ベッドで苦しむ母を見ても、涙が流れなかった。いよいよ来るべき時がきたというような感じだった。葬儀の時も泣かなかったし、遺骨を拾い上げるときも涙は出なかった。

母が死んだことを自覚したのは、葬儀から1か月ぐらいたった、ある休みの日の朝だった。母の夢を見て、2段ベッドの上で半身を起こし部屋の隅の天井をじっと眺めていると、母はもうこの世にいないということが、はじめて深く伝わってきた。悲しみは、意識の底に沈んでいて、時間をかけてあふれ出したようだった。
それ以降、自分の胸の中には、感傷的な気分がずっとつきまとうようになった。10代後半の感傷的な気分は、10代後半の友だちがみんなもっているものではなく、自分の中に深く入り込んできた母の死に対するショックが原因だった。母の死から34年が経過して、ようやくこのことに気がついた。

日常の活動や生活の中に入り交じってきた感傷的な思い。この10代の頃の思いがどこから生まれてきたのかという答えは、秋が深まり、気温が下がってくると空からふってきた。落葉のように。星のように。
10代の頃の自分のことが鮮やかにわかったことは、新鮮な発見だった。


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雑感

Posted by 東芝 弘明