餓死事件について思うこと

雑感

Night scenery @Clarke Quay #2 by kengoh8888

今日も相談事があった。
相談事があるたびに、それぞれの家には、いろいろな喜びや悲しみがたたみ込まれているということを感じる。幸せいっぱいという家もあると思うが、多くの家庭にはさまざまな問題があり、みんな一生懸命不安を抱えながら生きている。
ぼくに話を寄せてくれる人は、まだまだほんの一握りだと思う。信頼を寄せてくれて、相談をしてくださる方々からさまざまなことを教えていただく。
相談される物事については、知らないことの方が圧倒的に多い。相談者と一緒になっていろいろなことを調べながら相談にのっている。その一つ一つが、議員としての仕事の幅を広げたり認識を深めたりする契機になっている。
自治体との橋渡しをするケースも多い。町職員の対応に腹を立てている方も多く、なかには充分思いが伝わらないで悶々としている人も多い。
「どうなさいましたか」
相談事は、聞くところから始まる。人の話を一生懸命に聞く。しんどいことであれば、いっしょにつき合ってあげたい。そう思っている。

ある人から質問が寄せられていた。気になっていたが返事をできないまま、何日かたってしまった。
この質問への回答は、かなり長くなりそうなので、このBlogに返事を書いておきたい。
「3人餓死したニュース、どう思いますか」──質問はこういうものだった。

今回の3人の餓死の具体的な状況については、具体的に考えることはできないし、簡単にコメントできるものではない。こういう具体的なケースについては、具体的に事実を確認した上で、考えることが重要になる。
ぼくが論じることができるのは、こういう事件の周辺にある客観的な状況だろう。

水道などのライフラインが切られた時点で、福祉につながっていればという書き方がされている。しかし、さいたま市は、水道の管理を民間の業者に委託していた。
読売新聞の記事は、こう書かれている。
「市水道局によると、一家の水道料金は、昨年8月中旬に5、6月分を納めたのが最後。委託業者が複数回にわたって催促に訪れ、公社職員がメーターの検針で訪ねていた。支払いを求める督促状には、生活に困った場合は相談するように呼びかける文面が記されているが、市水道局は『福祉窓口を紹介するだけで終わっていいのか、改めて考えなければならない』としている。」
水道料金の集金は委託業者、メーターの検針は公社、督促状の文面には、生活に困った場合は相談するよう書かれていたということだ。
しかし、水道料金を支払えなくなると、督促状を見るのが嫌になるケースが多い。見ても気持ちが重くなるだけで、お金を払えないから見なくなることが多い。市の水道局の職員が、直営で検針や料金の徴収を行っていたら、市の福祉部門との連携が取れていた可能性が高い。
自治体がさまざまな分野をどんどん外部に委託するということは、自治体が関わる分野をどんどん縮小し、視野をせばめるに等しい。
外部委託という流れを強めてきた結果、福祉や医療からの排除、その結果としての餓死という事例が増えてきた。

医療制度の改悪が餓死を生み出す要因になっている。健康保険本人無料という時代のまま、さらに国民健康保険の本人無料が実現していたら、体調不良になった時点で医者にかかることができる。しかし、保険料の滞納者には、短期保険証を交付し、さらに滞納がかさむと資格証明書を発行する。資格証明書になると医療費の全額自己負担、事後7割を払い戻すという扱いになる。
これは、命の危機を生み出す制度に他ならない。
国の制度として資格証明書をもっている方でも、命にかかわる状態になれば、医療を受けることができ、医療費の自己負担も3割になる。緊急事態の時には、ただちに保険証が再交付される。でも、こういう制度があることを資格証明書を手にしている人はほとんど知らない。
医療分野で、国民の命を排除している国──これが日本の現実だ。

水道の給水停止という措置も、しだいに強まってきたと言える。お金を払っていない人の家庭に対しては水を止めるという判断はなかなかなされてこなかった。しかし、自己責任という考え方が貫徹される中でこういう事態がひろがっている。ガス、電気などは民間の業者なので、停止に対する躊躇がない。営利を目的にする会社というのは、そういうものだ。
医療の分野への株式会社の参入の検討や保育の分野への株式会社参入が行われようとしている。保育料を滞納すれば、「はい、退所してください」という時代が目の前に迫っている。

公務労働は、全体の奉仕者である公務員によって支えられている。市民や町民、村民はお客様ではない。お客様というのは、サービスに対して対価を払う場合、お客様になれるのであって、対価を払えない人は、お客様にはなれない。
税金を滞納していても、公的サービスから排除してはならない。滞納がある人も皆、平等に基本的人権がある。この基本的人権は永久に侵すことのできない権利だ。すべての人間の基本的人権を守ることと全体の奉仕者という概念は深く結合している。公務労働と営利活動との違いは、基本的人権を保障する活動と営利活動との違いにある。
社会福祉法人や医療法人も、営利目的ではない組織の仕事だから、公務労働と同じような側面がある。しかし、国民の基本的人権を守るという点で、最も徹底的な立場に立てるのは公務労働だろう。
いま、公務員に対するバッシングが盛んにおこなわれているが、公務員は、今こそ全体の奉仕者として、国民の基本的人権を守る存在として、公務労働の優位性を発揮しなければならない。
自治体が、自治体本来の姿を見失ってきたなかで、餓死の事件が増えてきたのではないだろうか。
病気にかかってもお医者さんにかかれないで死亡する事件があとをたたない根底には、社会保障制度の破壊がある。

餓死した3人の中には30歳代の息子さんがいた。生活保護では、「若い世代であれば仕事をする能力があるのだから働きなさい」という考え方が根強い。「仕事を選んでいる場合ではないでしょう。選ばなかったら仕事はできますよ」といういうことも多い。
働く能力があるのだから働きなさいという考え方で、就職難というのは視野の外に置かれている。「就職難で」という話にはほとんど耳を貸さないで、「働きなさい」という。
しかし最近、橋本保健所の中には、就職をサポートしてくれる県職員が配置されている。この職員の果たす役割は大きい。「一緒に仕事を探しましょう」というスタンスで相談に乗ってくれる。この職員配置は、かつらぎ町の生活保護の担当者による提案で実現した。こういうサポート体制こそが必要になっている。

「困ったときには相談してください」
こういう声をかけること、「どうなさいましたか」という姿勢で話を聞くこと、こういう自治体を実現して、一人ひとりの人間の基本的人権が守られるような自治体づくり、まちづくりを目指して議員活動を行いたい。
何重にも張り巡らされた網の目のネットワークで住民に奉仕する、そういう機関をつくることが、住民の幸福の条件をつくることにつながる。社会保障制度の充実は、このネットワークの土台になる。

すべて国民は健康で文化的な生活を営む権利を有する。
和歌山選出の参議院議員は、「どれだけ具体的にどこまで徹底して社会保障を削れるか」とテレビで発言していた。
この発言は、国民が餓死している現実に心を砕かない発言の最たるものではないだろうか。
日本国憲法25条を守り発展させるのは政治家の使命なのに。この人の使命は、社会保障を破壊することなのだろうか。

雑感

Posted by 東芝 弘明