社会一般のために立ち働くことによって自らを高める

出来事

「九条の会 橋本・高野口・かつらぎ」合同講演会が、佐野住民会館で開催された。講師をつとめてくださったのは、福島県富岡町から和歌山市内に避難している、福島県剣道同条連盟の会長、佐藤勉氏だった。
演題は「まだ許すのか、原発を」だった。
福島県は、会津地方、中通地方、浜通地方の3地域に分かれている。津波にあったのは浜通であり、この地域は原発事故によって帰還困難区域になっている。富岡町は福島原発の2号炉から4㎞のところにある。
佐藤氏は、「標準語で話をしていただいたら分かるが、和歌山弁で話をされたらとたんに話が分からなくなる。他の地域に非難することで言葉が通じない。方言だけで精神的苦痛になる」という話から講演を始めた。
富岡町は、78億円の予算の内、40億円が原発関係のマネーだったようだ。原発の施設は、原発関連で働く人々を生み出し、これらの人々は、地域にお金を落とす。地域も自治体も原発にものすごく依存している。これが、いま地域の人々を苦しめている。

原発に依存してきた地域の構図は、沖縄が米軍基地に依存してきた関係とよく似ている。国が原発に依存するように誘導してきた結果、現在のような地域ができた。脱原発に進む場合は、原発依存からどう脱却するかは、国の責任になる。
しかし、一番の問題は、国が脱原発を掲げず(菅首相が一言発言しただけ、その後あれは私の個人的な見解などと逃げた)、原発の再稼働に必死になるという姿勢だろう。この姿勢が、被災者(被害者)に対する補償問題、避難対策等々のすべてに歪みを生み出している。
佐藤氏は、半径20キロ圏内(600万円の補償)、30キロ圏内(240万円の補償)、30キロ圏外(1か月10万円、指定が解除されたら補償が打ち切られる)に線引きされた富岡町の町民に対する賠償の金額の違いを紹介して、住民同士がつかみ合いの喧嘩をした例を紹介し、さらに70キロから80キロメートル離れている福島市の方が、35キロ地点にあるいわき市よりも放射能の数値が高いことを紹介し、「福島市の方が放射能が強いのに何にも補償されていない」と語った。20キロで線引きし30キロで線引きして、町を3区域に分割するのは極めて人工的だ。この線引きでは、道路一本、家一軒の差で線引きされることになる。こんな線引きのどこに意味があるのだろう。この線引きは、実際の放射性廃棄物による汚染の分布と大きく食い違っている。このことは以前から指摘されているのに、改善されていない。政府が勝手に線を引いた根拠の薄い基準が、富岡町の町民の苦しみを増大させている。

佐藤氏は、和歌山県に避難してから剣道の教室を立ち上げて、和歌山県民に剣道とともに道徳運動というような取り組みをおこなっている。氏は、福島県の「履き物をそろえる会」の会長でもある。被災して避難しているにもかかわらず、自分にできることを勇気をもって行動で示しているひとだった。
氏は、講演の最後に、マザー・テレサの1与えられている幸せ 2できている幸せ 3与えることの幸せという言葉を紹介して、この中で3の与えることの幸せが一番の幸せだと語り、「世のため人のために尽くすことのできる勇気と行動力を持って生きてください。それが一番贅沢な生き方だと思います」と呼びかけた。

この言葉を聞いているとマルクスの言葉が思い出された。
「歴史は、社会一般のために立ち働くことによって自らを高め得た者を偉人と呼ぶ」
この言葉は、マルクスが17歳の時に書いた文章の一節だ。この文章には、自分もこのように生きたいという決意が記されていたようだ。マルクスの生涯は、最も虐げられていた労働者階級のために捧げられた。生み出されたものは科学的社会主義の理論と「資本論」だった。資本論は、今も生命力を失っていない。
佐藤氏の話は、このマルクスの話と重なるものだった。
「人のために尽くすことのできる勇気と行動力」──佐藤氏のようにこの言葉を心の底にしっかり鎮めて生きたいと感じた。


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Posted by 東芝 弘明