京奈和自動車道が抱える矛盾

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橋本に行く機会が増えている。
行くときには4キロ〜5キロ?ほどの道のりだが、京奈和自動車道を利用している。
信号がないのでノンストップで橋本市の東家地域まで走ることができる。
ストレスがまったく違う。
短縮される時間は5分程度らしい。しかし、精神的な負担はかなり違う。
経済波及効果はおそらく低下している。寄り道をせず買い物をしない。
利用している方にはおそらく同じ現象が生じているのではないだろうか。
ここで、自分のブログを京奈和自動車道で検索してみた。
同じようなことを書いている記事が何本かあった。ストレスの軽減が同じような記事を書かせている感じだ。
今日は少し違うことを書き足してみよう。
京奈和自動車道は、高規格幹線道路だが、国の直轄方式(つまり税金投入)で建設されるようになったので、料金設定をおこなうことができなくなった。
道路公団が建設した場合は、この特殊法人が銀行から借金をして建設するので、通行料で借金を返済する必要があった。しかし、道路公団の道路建設方式が破綻を重ねていったので、道路公団方式で高速道路を建設することができなくなった。
普通ならここで採算の合わない高速道路は、建設を見直すことになる。これが国民レベルの常識だろう。また、そういう事情を説明しきれば、建設途上の高速道路でも工事の延期という話になっても、そこに落ち着くと思われる。
しかし、国の判断は違った。
「借金をして高速道路をつくり、通行料でペイできないのであれば、税金でつくってしまえ」
これが国の判断だった。
和歌山県の24号線を東西に走り抜ける京奈和自動車道は、第2国土軸構想の具体化として、日本縦断の心臓部になる道の具体化だ。この構想は、ある種、度が外れている。
和歌山県の西の端に行き着き、海に直面したらトンネルか橋を架けて紀淡海峡を渡してしまえ、そして四国を横断して、九州に橋を架け、大分を突き抜けて熊本の西の端まで走る──これが京奈和自動車道を含む構想なのだ。
もし、現在の財政状況で紀淡海峡に橋かトンネルをつくれば、経済的な破綻は、本四架橋を超えるかも知れない。
しかし、この構想は消えていない。国は税金を投入してでもこの国土軸をつくることになった。
執念深い計画だ。
その結果、おそらくぼくたちが亡くなるまで、京奈和自動車道は無料の高速道路になる可能性をもつようになった。
この道が、近年つくられた高速道路のようにかなり高い料金設定になった場合、利用頻度がかなり低い、あんまり意味のない道になっただろうと思う。無料になることによって、近隣に住む住民にとっては、極めて利用価値の高い道になった。
冷静に考えれば、ものすごく大きな矛盾の固まりのような話だ。
国は、市町村にはものすごい削減を押しつけながら、自分たちはぬるま湯につかって湯水のように建設費を消化しているということでもある。


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Posted by 東芝 弘明