読書と人生

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作品受容について、過去に一度書いたことがある。しかし、この問題をもっと正面から書いてみたい。
本を読むときに、どのような姿勢で読んでいるだろうか。
娯楽のために本を読む、という読み方がある。おもしろいから夢中になって読むという読み方だ。
ぼくの場合は、こういう読み方はしていない。もちろん、面白いと読むスピードも速くなるし、夢中にもなる。しかし、このような読み方よりも、大切だと思っていることがある。
自分の胸の内には、一本の大きな木がある。十五社の樟(笠田の人にしかわからないですよね)のような木だ。木には根もあれば幹も枝もある。本を読むことによって、この胸の内にある木の根や幹、枝を豊かにする。
自分の胸の内にある木を育てるためには、自分の生き方を見つめる必要がある。自分の生き方を見つめるはじめると、視点というものができる。この視点と本との対話によって、違いが見えてくる。違いを知ることは非常に重要だ。違いが見えてこないと新しいことを吸収できない。自分の今までのものの見方との違いを確認しながら、今までの見方に新しい視点を加えていく。そうしてはじめて、自分の胸の内にある木が育つ。

これでもまだ分かりにくいかも知れない。
自分の生き方に照らし合わせて本を読むということを、今度は角度を変えて書いてみよう。
もっともっと自分を豊かに変えたいという思いをもって本を読む。──これが自分の生き方に照らし合わせて本を読むということだ。学ぶという行為は、学ぶことを通じて絶えず自分の認識を変化させていくことに他ならない。本は、自分の生き方を激しく批判してくれる。ここに読書の意義がある。
本に書かれた、たった1行の文章が、自分の人生をさらに豊かにしてくれる場合がある。そういうことにたくさん出会うために本を読んでいる。今までの浅い認識が、本を読むことによって変革を余儀なくされ、変わるときには、深い感動が伴う。認識が崩れるときには快感がある。それは、大いなる発見の瞬間だといっていい。

自分を豊に変えたいという強い思いをもって本を読むことと、娯楽のために本を読むことの差は極めて大きい。自分の認識と向きあわないまま、たくさんの本を読んでいると、ものの見方、考え方が定まらず、読めば読むほど混乱が深まるだろう。
本から多くのことを学ぶためには、自分の中に「哲学」を育てなければならない。「哲学」こそが胸の内にある木の正体であり、哲学の中の1つ1つの細胞は、ものの見方、考え方=「視点」ということになる。

短い人生だから、読んだ本から多くのことを吸収したい。吸収することによって、豊かなものの見方、考え方が自分の中に培われてくる。学校で学んだことは非常に小さい。学校卒業後の最大の学びの場は、本の中にある。

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Posted by 東芝 弘明