涙のような雨の中で

未分類

昨日、Nさんの葬儀に行った。会場に着いたときには、まだそんなに雨は降っていなかった。平日1時からの告別式だというのに参列する人は多かった。
Nさんは、43歳の若さで亡くなられた。3年前に病気になり、家族を残して逝ってしまうことを、母として何よりも心残りにしていた。
Nさんには3人の子どもがいて、まだ下の子は中学生にはなっていなかった。高校生の子どももいる。ぼくの母は、高校2年の時に亡くなったが、その時の葬儀のこととNさんの葬儀が重なった。

代表焼香で名前を呼ばれ、もう一度席に戻ってから、焼香をすませた人々の姿を見ていた。Nさんの友人らしき女性の方々がたくさん焼香をすませて、座っている席の横を通って行った。目にハンカチを当てている人がたくさんいた。

国道より南に住む小学校1年生の男の子が、入学したのは5年前のことだった。この男の子とNさんの子どもは同級生だった。
「笠田東の子はこっちへ」という言葉に導かれて、男の子が駅前の方にまちがって集団下校したときに、Nさんは心配になって一生懸命探してくれたことがあった。
教えてくれたのは、男の子のおばあちゃんだった。

Nさんは、心優しくまわりの人のために世話をすることをおしまない人だった。病気になっていなかったら、小学校のPTAや地域の育成会でいっしょに活動していただろうと思われる。3年間、PTAの会長をさせていただいた時期、Nさんはすでに病気と闘っていた。
4年前、彼女の子どもたちのクラスも人数が多く、学級の分割を強く望んでいたのに、当時の運動は、35人学級の実現をめざしたので、当時34人だったクラスの願いに応えることができなかった。昨年から今年にかけて、このクラスの人数は36人となり、PTAは再度、教育委員会に対し、学級分割を求めて働きかけた。それは、Nさんの願いに重なるものだった。しかし、教育委員会は、保護者の強い願いを受けとめきれず、決断することができなかった。
現在の子どもたちのために、心を砕き立ち働くことよりも優先すべきことがあるのだろうか。そう考えると無念でならない。

旦那さんは、葬儀の最後に参列した人々への挨拶をおこなった。胸が押しつぶされるような挨拶だった。
棺に花を添えさせていただいた。多くの方々が花を手に列を作った。
棺は、見守る人の前を3度回り、会場の外へ出た。
人々の話し声はほとんど聞こえなかった。知人に会うとお互いに無言で会釈を交わすという風だった。
会場の外には、5月の細かい雨が降っていた。糸のような細い雨だった。親族の方々がマイクロバスに乗り込み、いよいよ出棺という時刻になると雨足が強くなった。細い雨はみるみる形を変え、棺を乗せた車の屋根には雨粒が当たって跳ねていた。彼女のために空が泣いている。屋根に当たった雨は涙の雫のようだった。

未分類

Posted by 東芝 弘明