学校の統廃合計画、今までの経緯を調べる

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朝から読者ニュース「清流」の記事を作成するのに教育委員会に取材に行った。記事作成が目的だが、ニュースを作れば議員としての認識が深まり調査活動の一環としての側面が強く出てくる。
来週発行する読者ニュースのテーマは学校の統廃合問題だ。ニュースのテーマは、統廃合の方針がどのような変遷を経てきたのか。今何が問われているのかということだ。
調べるといろいろな事実が見えてくる。
かつらぎ町は、合併する以前は、小学校が10校、中学校が2校あった。花園村と合併して小学校11校、中学校3校になった。10こうある小学校について、かつらぎ町は、順番を決めて建て替えていくという方針をとってきた。児童生徒数が減少しても、統廃合の計画が浮上しなかったのは、長期総合計画で人口3万人をめざし、学校を地域の拠点として改築し直すという認識に立っていたからだ。
この方針が変更されたのは、平成17年1月のことだった。
この時点で、学校を統廃合するという方針を教育委員会は打ち出した。教育委員会の計画は、山間部の小学校を廃校にして渋田小学校に統合し建設する。四郷小学校と笠田小学校を統合するというもので、10校ある小学校を5校にするというものだった。しかし、この計画は、議会に報告した時点で、再検討すべきということになり、それ以後、棚上げ状態となった。教育委員会の計画は、10校を5校にするというだけで、それにともなうさまざまな問題については何の方針もなかったからだ。この計画は幻の計画となった。
教育委員会の統廃合計画は、平成18年2月に白紙に戻され、教育長の私的諮問機関である「検討委員会」で方向を打ち出すように仕切り直された。
17年1月に開催された教育委員会の議事録を読んで驚くのは、過去の方針に対して総括や再検討がまったくおこなわれていないことだ。
従来の順次建て替え案も1つの選択肢となり、これと並列して統廃合案のパターンがいくつか示されてどれを選択するかというのが議論の特徴だった。時系列で経緯をふまえないので、なぜかつらぎ町が学校を順次建て替えてきたのかという観点が欠落し、なぜ今日、方針転換が必要なのかという認識もあいまいなままになってしまった。
つまり、教育委員会は、カレーライスがいいのか、天津飯がいいのか、お寿司の盛り合わせがいいのか、うどんがいいのか、ラーメンがいいのかというような議論をしたということだ。
廃校になった教室をどうするのか、スクールバスをどう具体化するのか、まったく検討されていないのも、どのメニューを選択するのかということに論議が終始したからだ。
経緯をふり返ってみると、なぜ議会が不十分だといって再検討を求めたのかがよくわかる。
教育委員会は、議会に再検討を求められたとき、「機関で決定した方針ですから」ということに徹底的にこだわった。しかし、棚上げ状態になると教育委員会は何のアクションも起こさず、1年間放置した。
18年の2月1日にこの統廃合計画は廃止になったが、廃止を決定したのは、教育委員会の正規の会議ではない。町の2役と教育委員会の合同の協議会が開催され、そこで教育委員会の機関決定の統廃合計画を白紙に戻し、審議会を設置して出直すことが確認されたのだ。
その後、正規の教育委員会が開催されたが、機関決定したはずの統廃合計画の廃棄は、正式議題となっていない。
機関決定は、非常に軽かったということになる。
議員活動をおこなってきて、行政がきちんと総括しないのを何度も経験してきたが、統廃合を検討している現在、方針の変更理由が説明できないまま推移していることに驚きを禁じ得ない。住民に説明をはじめると、たちまち、なぜ方針が変更されたのかが問題になる。そういう角度から議論がおこなわれていないので、教育委員会は、この問いにまともに答えられない。説明責任を果たせない。
読者ニュースで経緯をふり返った意味はあると感じている。物事にはすべて発展の歴史がある。この発展の歴史(プロセス)を踏まえないような態度では、住民の理解は得られない。
もっときちんとしましょう。そういいたい。


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Posted by 東芝 弘明