笠田小学校の卒業式

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笠田小学校の卒業式に参加させていただいた。雨が降る中での卒業式となった。
様々な話を聞きながら、親と子どもの関係に思いをめぐらせた。
ぼくは、父親を小学校1年で亡くし、母親が中学校2年から入院することになったので、他の人よりも早く親と離れて生活することになった。
子どもは、親がいなくても育つというような感覚があった。
しかし、結婚して娘が生まれ、親になってはじめて、親の存在の大きさを考えるようになった。
子どもたちは、中学校を過ぎ高校生になり、大学に進学したり就職したりして、やがて自分の力で大きくなったように感じる時がやってくると思う。しかし、母親のお腹の中に生命として宿った時から、夫婦はさまざまな思いや願いをもって自分たちの子どもと向き合っていく。
親は、生まれたときのことやおむつを替えたこと、熱を出して夜中に車で走ったこと、幼稚園の入園式、卒園式、小学校の入学式や卒業式など、日常の生活の中での思い出とともに、節目節目の時の思い出を重ねていく。
親の存在の大きさは、自分が親になり子育ての道のりを歩いていくなかで、感じ取れることなのかも知れない。親の大きさは、自分が親になってはじめて見えてくる。
子どもたちは、そんな親の大きさを子ども時代に知ることはないように思う。
親子関係のおもしろさは、こういうところにもある。
「君たちの小さな頃のことをお父さんとお母さん、おじいちゃん、おばあちゃんはたくさん知っているし、みんなで君のことを大切にしてきたんだよ」
こんな言葉を子どもたちに伝えて、「このことを想像してごらんよ」と伝えてあげたい。
これらの言葉の本当の意味は、自分が親になってはじめて実感できるだろうけれど、想像してもらうことの意味はあるように思う。
卒業式に参加していると、親の思いや先生方の思いの方に関心がいくようになった。大きくなった卒業生の姿を見ていると、小さかった頃のことが、オーバーラップして記憶が現実に重なり合い混じり合う。思いをそういう方向に伸ばしていくと、胸がつまる。
子どもたちの中には、小学校時代と中学校への不安や希望が入り交じっているだろう。先生への別れの気持ち、小学校を離れる寂しさも混じり合っているだろう。保護者の思いと子どもたちの思い、先生方の思いがさまざまな形で重なり合うのが卒業式だ。
議員の特権は、人生の大切な節目に立ち会わせてもらえることだ。卒業式は、何度参加しても新鮮だ。
卒業式に参加しながら、文章を書くことを訴えてみたくなった。
人生はかけがえのない瞬間の積み重ねだから、自分の思いを文章に残して日々を重ねていくことはいいことですよと。かつて宮本百合子は、日記を書くことは「人生を2度生きること」だと語ったことがある。
最新の脳科学をこの言葉に重ねると、日記を書くことは「人生を3度生きること」になる。脳は、眠っている間に昼間の出来事を反芻している。体験と日記と睡眠。24時間で3回も経験できるのは面白い(嫌なことも3度体験してしまう?。そういう場合は、視点を変えて出来事を見つめ直せればいいのだが。そんなに簡単に切り替えはできないよね)。
せっかくの人生なのだから、自分の体験を深く生きることは大事だと思う。
広く深く。
中学生は、自分で自分を育てていくスタートライン。人生の扉の前に立つということ。扉を開くのは自分自身。扉の重たさは、押したり引いたりしないとわからない。
重すぎるときもある。そう、それが人生。
真っ直ぐ向き合ったり、横道にそれたり回り道をしたり。それも人生。
大切なのは、すべてのことから学ぶこと。
扉を開くのは「理知」の力と「体力」なのかも知れない。


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Posted by 東芝 弘明