話し合いはこれからだ

教育

学校の統廃合について、日本共産党町議団としての見解をまとめてみた。
統廃合問題を通じて、問われているのは地域おこしの問題だ。学校の統廃合は、それ自体重要な問題ではあるが、さらに広い視野で見れば、行政と地域との信頼関係、学校と地域との関係という問題でもある。

かつらぎ町は、住民との合意が形成できないまま、廃校に踏み切る可能性がある。しかし、こういう事態は避けるべきだと思う。行政と住民との間の信頼関係が失われると、住民と行政とのコラボレーション(協働)はできなくなってしまう。行政には、この点を深く考えていただきたい。

議論が精鋭化したときには、議論をとりまく土俵についても考え直すべきだろう。一致点がないようにさえ見えるが、行政と住民が話し合いの土俵を確認し、その合意に基づいて協議を行えば、道は拓かれる。

こういう局面のときに譲歩すべきなのは行政だと思われる。
ここからは少し一般論を書いておく。
行政は、学校の設置者なので廃止の条例を出して議会がこれを可決すれば、学校の廃校は決定する。住民は、これをとめる権限がない。力関係は歴然としている。住民が持っているのは、地域住民の意向だけであり、この意向は強いものでもあるが、弱いものでもある。
協議のテーブルを蹴って、廃止条例を出すという態度を行政が取れば、事態は風雲急を告げる。住民には、決定する権限がないので、行政が強硬姿勢をちらつかせれば協議のテーブルにつかざるを得ない。
こういう力関係が、住民と行政とは対等平等という関係を成立させてこなかった大きな要因だと思う。

行政は、絶対に話し合いの席を蹴ってはならない。話し合いの席を蹴って権力を行使すれば物事の決着はついてしまう。しかし、現実にはこういう力関係の下で多くの問題が処理されてきた。戦後の地方自治体の歴史のふたを開ければ、強力な権力を発揮して住民の意向を踏みにじってきた事例は、ものすごく多い。無数にあるといっても差し支えない。
逆に住民の側が住民の意思を明確に示して、運動を行ってもなかなか願いは実現しない。もし、住民と行政の星取り表を作ったとすれば、横綱と幕下ぐらいの差がある。これぐらい力関係に差があることを行政は深く理解しなければならない。
かつらぎ町では、かつて、涙ぐましい運動、努力をおこなって提出した請願を切り崩し、署名の取り消し運動さえ組織したことがあった。そのときは、請願代表人に圧力をかけて実際に代表を辞退させるとともに、議会事務局の入り口に署名簿を置いて、名前を削除する人が次々に訪れた。同一の地域の人が請願の代表者になり、同一の地域の人が署名の取り消し運動の音頭をとった。もちろん、この背景には自治体が存在した。これは、国民の請願権を真正面から踏みにじる憲法違反の所業だった。
議会でぼくたち日本共産党は、そのときも全力で奮闘したが、事態を変えることはできなかった。
しかし、これらの運動から学んだことは大きかった。

このような歴史はたくさんあったけれど、長い時間が経過して、変化が生まれてきた。
変化の1つは住民との協働という考え方だった。住民との協働というのは、対等平等に力を合わせるということだから、もし、行政が住民との間で信頼関係を得たいのであれば、最後まで合意を形成する努力をおこなう必要がある。

これから先の未来で実現すべきなのは、住民の中にある叡智を行政が採用して、住民本位の地方自治体をつくることだろう。権力を発揮して、住民に行政の施策を押しつけるような20世紀型のまちづくりでは、まちの活性化は望めない。そうではなくて、いかにして住民の創意を地域づくりに生かすかを考える必要がある。
住民が頼りなく見えるのは、行政と住民の間で情報を共有できていないからに他ならない。情報が共有されると、住民は実に豊かな知恵と力を発揮するようになる。一方、行政が、ある程度賢そうに見えるのは、情報を独り占めにしているからに他ならない。

民主主義的な行政運営こそが未来を拓く。トップダウン、ワンマンなヒーローによる行政運営は、住民の幸福をもたらさない。強権をもった一人の天才やヒーローはいらない。求められているのは、まちをよくしたいと願っている人の力を引き出すことだ。まわりの人の力を引き出すようなリーダーをたくさん養成すればいい。そういうリーダーは、トップを走る場合もあるが、縁の下の力持ちである場合の方が多い。

繰り返し書いておきたい。
行政と住民とのコラボレーションは、圧倒的な権限を持っている行政と住民とのコラボレーションに他ならない。この力関係の下で対等平等になるためには、行政の上から目線、強権、かたくなさ、優柔のなさを変革しなければならない。住民と同じ目線に立って協議を行い、ねばり強く合意を形成し、ともに力を発揮する。このようにしてこそ、コラボレーションが生まれる。
このことは強調しても強調しすぎることはない。

学校の統廃合の問題でも、柔軟な姿勢を示して欲しい。少なくとも対等平等に話し合う関係は維持して欲しい。審議打ち切り、廃校だという合意のない結論は出すべきではない。何を協議の対象にするのかという点で、一致点を確認して、協議の土俵を設定すれば、新たな地平線は見えてくる。

話し合いはこれからだ。


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Posted by 東芝 弘明